【美智】その7



「…あ、え〜と、その…お、おはよう…」
「…え、あ、…お、おは、おはよう…ご…ございます!」

鼻先にはトレーニングウェアのジッパーの硬い感触があったが、その以外はすべて、ふうわり、もみゅもみゅした、程よい弾力と、柔らかさを持ったものが両ほほを押さえつけている。それは、昨日、眠りに落ちる直前に感じた、あの、人肌の香りのする穏やかな感触がまざまざとよみがえらせる…。

しかし、その時耳にした潮騒のような音が、今はぼくの心臓のどきどきとぴったりシンクロしたかのように、早鐘のように響き、それに合わせるかのように、ほほ…というか、顔全体をを押さえているふくらみが、大きく前後に動き、頭が10〜15センチくらいぐぅん、ぐぅん、と前後する…。

「…あ、あの、ご、ごめんなさいっ! お、おにいちゃんが…お、お風呂はいってる…って…し、しらなくって!」
「…あ、え、あの、…み、美智ちゃん…だよね?」
「え、えと、えとえと…着替え終わったら、教えてくださいっ!」

という声が頭上からしたとたん、両肩とお尻の辺りをそっ、と捕まえられ、ふわっと、身体が浮いたかと思うと、更衣室の真ん中にあるタオルマットの上にすとん、と降ろされる。

ふ、と目の前を見ると、正面には、さっきまで自分の顔があった(らしい)大きなふくらみがふるん、と揺れ、黒いさらさらとした髪の先がふわっと流れるようにウェーブを描いたかと思うと、折りたたみ式の扉が、ぱたん、と閉まる。

「…あれが…美智…ちゃん…?」



あたふたと、スエットの上下に着替えると、更衣室を出ると、できるだけ普段通りに〜おそらく、部屋へ戻っただろう美智ちゃんに〜声を掛ける。

「み、美智ちゃん〜! 終わったよぉ!」

「…は、はぁーい!…」

ぼくは、そのままダイニングキッチンへ向かった。…そこには、ぼくが入ってくるのを、香さんがなんだか申し訳なさそうにして待っていた。

「あの〜、ご、ごめんねっ! 陽一クン! あのコ、キミが出かけてから、どうしてか、グングン大きくなっちゃって…。どうしたら、あんまり驚かさないで逢わせられるか、って考えてて…きのう、眠っちゃったときに、イイ感じだったんで、ちょっと気が抜けちゃってて…。」
「……え、…あ、はぁ。」 …珍しく、しどろもどろの香さん。しかし、こっちは、まだ、なにがなんだかよくわかっていなかった。

香さんは、ぼくにダイニングの席を勧めると、入れたてのコーヒーをことん、と置いてから、ぽつ、ぽつと話し始める。

「…驚かないでね。…あのコ、あなたが出張に出てからの3ヶ月で、身長が30cmも伸びちゃって…。だから、いま…2m18cmもあるの…。」
「…2…メートル…18…」

…そうか…更衣室でぼくがぶつかったのは、美智ちゃんの、ちょうど胸のところだったのか…

「…それでなの、スポーツ関係の部活動やってくれないか、っていう勧誘が増えたのは…。優しいから、断りきれなくて…。おまけに、そんな大っきくなっちゃったから、どうしても目立っちゃうでしょ…。美智って、もともと引っ込み思案なコだしね…」
「……」
「…目立っちゃうのが、あんまり好きじゃないから…。ほら、運動部って、朝練あるから、早めに学校行って、放課後もなるべく人出の少なくなる時まで練習してから帰ってくるようになってたわけ。…昨日も、迎えにいこうよ? ってだいぶん誘ったんだけどね…。空港って、人、多いでしょ? …だから…」
「…そう…か…」  ぼくは、何も言えなくなっていた。

「…うん…。…だからね、お願い。…美智とは、前と同じように接して欲しいの。…そうしてくれ、って言っても難しいかもしれないけど。…あの、いろんなところが、大きい、ってだけで、あの娘は、キミが出張する前の、3ヶ月前の、し・の・は・ら・み・ち、なのよ。…ほんとに、お願い…。」

香さんは、ぼくの目をじっと見つめながら、一言一言をすごくしっかりと、話していた。その表情は、昨日の空港帰りの時ちょっと冗談ぽくほのめかしていたときとは全く違っている。

しばらく、二人で、何も言わず、マグカップを傾けていた。…なんだか、気まずくなってくる。空気が、なんだか急に重くなったように、感じる…。
こーゆーのは、どうも、苦手なんだけど……。…よし…。

「…わかりました…。…でも、ほんとに、こんなまじめな香さんは、久しぶり、だな…。」
「えぇっ、それ、なによ! いつもわたしがじょーだんばっかりみたいじゃない!」
「…あ、いけね、つい本音が…」
「なぁんだってぇ〜?」

ぼくの “フリ”をちゃんとわかってくれて、香さんは、わざとらしく肩を怒らせ、柳眉をぐぐぐっと寄せて精一杯“憤激”してみせる。…これまた、美貌の香さんには珍しく、妙な顔。と、次の瞬間、ふたりで同時に笑い出している。

「…っふふふっ。ま、この、いつも調子でね。よろしくっ! 朝ごはん、も少し待っててね!」

そういうと、香さんはまたキッチンに戻り、朝食の支度を始める。…ぼくも、気分を変えるため、マグカップを持って、ついさっきまで眠りこけていた居間に戻る。

そこのソファには、美智ちゃんお気に入りの“くまさん”が、折り畳まれた毛布の上に、とてん、と乗っかっていた。

向かい合わせにあるシングルソファに座り、しみじみと、その2つの「寝具」を眺める。

(それにしても…こんなので、よく15時間も眠ってたよなぁ。そんなに疲れてたのか…)

…いや、なにかが…違う…。…なにか、もっと、こう、ふかふかした、なにかに包まれていた…ような…。

昨日のことを、少し思い出しかけた、その時。

…こん、こん。

廊下側のドアが、軽い音を立てる。  「はい?」 …香さん、じゃない…よな。…ってことは…

「…あの…陽一おにい…ちゃん? あたし、美智…です。入っても、いいですか?」



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