【美智】その5
「…くん! …起きて、陽一くん! ね、ついたわよ! お疲れさま!」
遠くから声が聞こえる。…はっ、として、ぼくは目覚めた。助手席のドアを開けて、香さんがぼくを揺さぶっていた。…フロントガラスの先の、見慣れた木々が目に飛び込んでくる。
すっかり眠りこけていたようだ。
「だいぶ、疲れてるみたいね。…おかえりなさい、愛しの“わが家”へ!」
香さんの声になんとか助手席から身体を引きずり出すと、トランクから荷物を取り出し、玄関に向かう。…時差ぼけはかなりのものだ。足元がちょっとおぼつかない。
「あのね、陽一クン…あー、その、なんだ、…美智に、びっくり、しないでね。」
「??」
「ただいまぁ! 陽一クン、ぶじにご帰還ですよ〜!」
こん、こん、と扉をノックする香さん。…自分の家なのに、おっかしいなぁ…などど、ねぼけた頭で考えながら、のて、のて、と後に続く。
「ほらほらぁ、み〜ちっ! なぁーにしてんのぉ!! 陽一クンのお帰りよ! …んもう、テレやさんなんだから…。あれ、陽一くん、だいじよぶ? …疲れちゃってるのね…」
「は…はぁ…ふわぁ…」
ぼすん…。〜ぼくは、とうとう疲れ果てた体ごと、応接室の長いソファに倒れ込んでしまった。ちょうど、頭のところに、ふかふかの、かわいい熊のぬいぐるみが、3ヶ月前と同じように置いてあった。…美智ちゃんの、お気に入りの“くまさん”だった。
「…うにゃ…むにゃ…ふわぁああ…」 つい、慣れ親しんだ場所に着いた気楽さに、再び‘夢のなかへ’吸い込まれていきそうになる…。
「美智〜っ! 陽一クン、疲れてんだからね! 早く来ないと、24時間は“おかえりなさい”が言えなくなるぞぉ〜っ! 早く早く!」
けんめいに声をかける香さんに応えるべく、まぶたをぐいぐい開こうと努力していたが…。ううううう…ごめん、美智ちゃん…アクマのごとき睡魔に、わたくし陽一は、いま、屈服しようとして…い…。
と、その時。
とてとてとてて…。
軽やかな、それでいて、なにかしなやかな音がしたかと思うと…
「…よ、陽一…おにい・ちゃん?」 かわいらしい、ハスキーな声が。
眠気で重くなった瞼と、それ以上に、疲れ果てて自分ではソファにくっついたんじゃないかと思っていた身体が、ふぅわり、と宙に浮いたような気がした。
そして…。
首の辺りから背中、そしてお尻…いや、太ももの辺りに、柔らかな感触が。
「…お、おかえりなさい…陽一…おにいちゃん…」
美智ちゃんの声だ…。しかし、なぜか、くぐもって聞こえる…。
眠気を振り払って、顔をつ、と持ち上げる…と。
ふにゃん、とした感触が額に伝わったかと思ったら、ぽよよんん…。
ぼくの頭ごと、なにか大きな、とても弾力のある柔らかなかたまりにはじき返され、また、やわらかな、しかし、しっかりとしたものに支えられた。
「…?…??…」
なにが起きているのか、わからないけれど、なぜか、とても…落ち着く…。
「…おかえりなさい…おにいちゃん…」
「…み…美智…美智ちゃん?…な…の…?」
「…うん、美智です…おかえり…おかえりなさい…陽一おにい…」
そこから先は…よく覚えていない…。
美智ちゃんの…声が、また、くぐもったかと思ったら、なにか、とてもふかふかした、あったかいものに、僕の顔全体が包まれていた。
そこからは、なんだか、石けんのような、それでいて、人肌のような香りがたち込めている。…その中から、静かな、落ち着いたリズミカルな、潮騒のような音が聞こえ始め…ぼくは…。
その、あたたかなものに…包まれながら…まるで…赤ちゃんになったように…意識が…遠くに…
「…あらあら、もう…美智ったら…陽一くんの…おかあ…みたい……でも…安心…」
…最後に聞こえたのは…香さんの…不思議な…ことばだった…
…おかあ…さん…?
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