【美智】その4



3ヶ月後。…もう、2月も終わりにさしかかっていた。

通関を終えて、混雑する手荷物受け取りを通り抜けて、出口ロビーへ出ると、香さんが遠くから大きく手を振って合図していた。キャスターをごろごろさせながら、そちらへ向かう。

「おっかえりなさ〜い!」と、明るく迎えてくれる、香さん。久しぶりの元気な笑顔だ。ぼくが近づいていくと、わっ、と全身を預けてくる。あわててその豊満な身体を抱きかかえると、香さんは、人目も気にせずにぼくに唇を重ねてくる。…それをあわてて受け止めると、さらにぼくの口の中で香さんの舌が蠢いていく。

逢いたくてしかたがなかった気持ちが、その唇、その舌から感じられた。

「…ん。元気そうで、よかった。」 じっくりと唇をむさぼりつくしたあと、潤んだ瞳でぼくをじっと見つめながら、香さんは、ぽそり、とつぶやいた。…その妖艶なまなざしに、ぼくは、どきりとする。

「あ〜…その、なんだ、…そ、そうそう、美智ちゃんは? 日曜だからいっしょかと思ったんですが?」 …香さんの魅力に抗うように、ぼくは話題をむりやり変えてみる。もちろん、美智ちゃんがいないことが気がついていたのだが。

「あ、ええ、あの…、美智ね。…その…、さ、さあ、早くクルマに乗っちゃいましょ? 遅刻しそうだったからパーキングに入れる暇なかったんで路上駐車なのよ! さ、行こ行こ!」



クルマは、高速道路を西へ140km/hというスピードで巡航していた。追い越し車線をずっと走らせながらも、香さんはカーステレオから流れる曲を鼻歌まじりにハミングしていた。

ぼくは時差でぼんやりした頭をぶんぶん、と振り回して、香さんに向き直る。ちら、とぼくの方に視線を向けた香さんは、また、前方に視線を戻すが、その間に微妙なゆらぎを…ちょっと不安そうなまなざしを見せていた。
くたくたになってはいたが、ぼくは、さっき空港での香さんの口ごもりかたが気になり、じっと、その横顔を見つめ、思い切って聞いてみる。

「あ…あのう、美智ちゃん、具合でも?」
「え? あ、いやいや、そんなこと…ない…けどね」 妙にとぎれとぎれの返事。いつもの、しゃきしゃきした、香さんとはずいぶん違っていた。

もしかして…美智ちゃんになにかあったのかも…。僕の中に、得体の知れない不安がふくらんでいく。しばらく、沈黙があったあと、香さんが、前を見たまま、こう切り出した。

「……その、ね、美智のことなんだけど。」
…やっぱり、なにかあったのか? …この3ヶ月で、なにかが…。

知らず知らずのうちに不安が顔に出る。それを感じたのか、香さんは開いている手をひらひらさせ、そのあと、そっとぼくの右膝にやさしく載せる。

「…あら、心配しないで。元気だから。…シノハラ家はビョーキ知らずの家系なのよ、そっちは心配無用。…おまけになんてったって、あと1ヶ月とはいえ、まだ中1だからねぇ、身体はもう元気すぎて困るくらい…」
「…じゃあ、…」
「え、ええ。それが…ちょっと。…あんまり、外へ出かけなくなったのね。…まぁ、あの娘も“お年頃”だから、気にすることは、いっぱいある…ってこと、なのかしらねぇ…」
「あれですか、その…行く前の…あの…」
「ん? あ、ああ、あなたとのエッチのこと? そのことはね、心身ともに問題なし。とくに、心のほうは、出かける前にあなたがしてくれた“おでこのキス”の魔法、けっこう効き目あったわよ。」

香さんの口調も、だんだん元に戻ってきた。…それほどの心配ごとでも、ないのか?

「それに、最近いろんな運動部をかけもちしはじめたからねぇ…きょうは、バスケ、だったかな?」
「…あ、部活ですか? へぇ、そりゃ知らなかった。」
「まぁ、どれも断れなかった、みたいね。」
「?」
「…ま、いいや、百聞は一見にしかず、だから…。あ! いけない! 晩ご飯のおかず、なんにもないんだ! ちょっと急ぐわよ!」

そう言うと、膝にのせていた手がすばやく動き、シフトレバーに軽く手を添えたと思ったら、鮮やかなアクセルとクラッチ操作とともにすかさずシフトダウン、一瞬で回転を合わせ、ぐ、と右脚を踏み込む。
車はあっというまに猛然と加速をはじめる。香さんの方を向いていたぼくの身体は、ぐい、とシートに押しつけられる。…香さんは、見かけによらず運転好きなのだ。

後ろから迫る車に驚き、あわてて車線変更する車をあっという間に抜き去っていく。

加速の勢いで、会話が途中で終わってしまったが、直前の、香さんの最後のことばがひっかかっていた。

「百聞は一見にしかず」…?

…妙に胸騒ぎがするのは、なぜだろう?

まぁいいか。どのみち、戻ってみれば、わかることだ。…そんなふうに、のんきに考えて、シートに身を預ける。

時差ぼけのせいか、急に眠気が襲い、ぼくは夢のなかに引き込まれていった…。



夢だ。…そう、はっきりと自覚できた。だが、なぜかすごく切実な感じがした。それでいて、皮肉なことに、夢。そんな不思議な感覚に、とらわれていた。

そこに、美智ちゃんがいた。……しかも、ぼくは、美智ちゃんの顔がちゃんと見えなかった。

なぜなら、彼女の顔は、巨大なボディの、すさまじい胸の盛り上がりに隠されていたからだ。

しかも、ぼくの首はほとんど真上を向いていた。…美智ちゃんの頭のてっぺんは、天井にぶつかり、身動きがとれないようだ…。

4〜5歩、後ずさると、ようやく、美智ちゃんの、恥ずかしそうな、頬を真っ赤に染めた顔が見える。

「美智ちゃん…あ、あの…ま、またおおきく…」
「…陽一おにいちゃん…あたし…こんな…‘大きく’なっちゃった…」
「…」

ごくり。思わず息をのんでしまう。ビーチボールより大きく、まあるく、張りつめた乳房が、ぼくの頭上でぶるんぶるん、と揺れ動いていた。

「こんなに、おっきくなっても…いい? …陽一おにいちゃん…あたしは…陽一おにいちゃんのこと…」
そう言いながら、その巨体をかがめてくる。美智ちゃんのすさまじい大きさの乳房が、あっという間に目の前に迫ってきて、その谷間に、ぼくの頭全体がすっぽりと埋まり…。

視界を完全にふさがれ、真っ暗になっていった…


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