【香織と僕】その6  ...ちょっと、はずかしい方向に...



 こん・こん・こん・・こん。
 
 3回つづけた後、軽く1回。…息を切らせながら、ぼくは、香織にしかわからないやり方で、ノックする。
 まだ息が整わない。ふだんなら、どうやっても3〜40分かかる道のりを、競輪選手のようにすっ飛ばしてきた。たぶん20分を切ったと思う。そのおかげで、呼吸どころか心臓もまだ全力運転中で、その鼓動が耳元まで伝わってくるようだ。
 
 がちゃり。 …ロックがはずされる音がして、ドアがゆっくり開いていく。そこから、ちら、と香織の顔がちょっとだけ覗く。ぼくは、はっ、はっ、と息つぎしながら話し始める。
 
「陽…くん?」
「い、いやぁ、し、新記録、樹立? こ・こんなに急いで…来たのは…」

 開いたドアの、ほぼ真正面に香織の顔があった。…なにかが、違う。
 そんな違和感の原因はすぐわかった。香織の身長が、ぼくと同じくらい、玄関の段差を考えると175cmくらいか。2週間前、コテージュのタルトを差し入れしたときの、あの圧倒的な圧迫感は、もちろん、ない。

来ているものも、いつもの“部屋着”だった、膝のすぐ下まで丈のあるゆったりとしたロングトレーナー。彼女はこれがお気に入りで、色違いで何着も持っていた。…ただ、やはり胸の膨らみがすごくて、その部分だけはかなり窮屈そうだった。プリントされているイラストとロゴタイプは大きくゆがんでいる。…これだと、3ヶ月前の体型と同じくらいだろうか。〜たしか、99? いや、1メートル?〜 それにしてもすごい大きさだ。

香織の顔には、なぜか、うれしいような、さびしいような…。ふしぎな表情が浮かんでいた。しかし、気のせいか、ぼくを見たとたんに、それまであった緊張がすっ、と抜けていったような気がした。…その柔らかく変化する、やさしい香織を見たとたん、ぼくは思い出してしまう。…コテージュのタルトを差し入れたときのことを。

いろんなことが頭をかけめぐり、ふと気が付くと、ぼくは、じーっと香織の顔を見たまま、玄関先に突っ立ったままだった。目の焦点が香織のそれに合わさると、香織はきゅうに顔を真っ赤にして、その大きな胸を隠そうとするかの前屈みになりかける。ぼくの頭も急にかぁーっと熱くなった。ぼくは思い切り頭を下げる。

「…ど、どうぞ」「ごめん!」 ぼくと香織の声が重なる。 

…ふにょん。

ぼくの額から鼻にかけ、やわらかいものに潜り込み、視界をふさがれる。…一瞬、なにが起こったのかわからなくなる。

「…?」「きゃっ!」

頭を上げると、目の前に香織のトレーナーごしに、大きな胸の谷間が見えた。ちょうど前屈みになった香織に、勢いよくおじぎしたぼくの頭がつっこんだのだ。それを受け止めたのが、香織の巨大なエアバッグだったのだ。ぼくはますます頭に血が上り、さらに上ずった声を出してしまう。

「…あ、その、ごめん! ホントにごめん! この前は…」

ぼくのあまりのあわてぶりに、頬を赤く染めた香織が、ふ、と笑顔を浮かべた。恥ずかしいのもあるのだろうが、さっきよりも、もっといつもの香織らしくなっていた。

「…ううん、だいじょうぶ。ありがとう。来てくれて。」
「…は、はぁ。」
「…え、ええと、…あ、ど、どうぞ。」

自分のマヌケな謝り方に、自分でも恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしながら、玄関で靴を脱ぎ、中へ入っていく。先を行く、香織の清潔な石鹸のにおいがほのかに残っているのが感じられる。さらさらの髪の毛の先が、きれいに揃って背中のちょうど真ん中あたりで揺れている。それは、いつもの香織だった。

しかし、そのさらさらの髪より目立つのが、後ろからでもはっきりとわかる、その2つの膨らみだった。背中の左右からはみ出た乳房の大きさに、トレーナーの生地が引っぱられ、その部分だけがぴん!と張りつめている。心なしか、トレーナー全体が胸に押し上げられているように見えた。

「あ、コーヒーで、いいかな?」そう言いながら、香織はキッチンに入っていく。

先に部屋に入ると、この前とは違い、ぼくはいつもの“定位置”、前と同じようにライティングテーブルのイスに座って待つ。ほどなく、コーヒーのお盆を持って香織が部屋に入ってくる。前に飛び出しているバストのおかげで、肘をかなり伸ばしていないと、お盆がその豊満な膨らみにぶつかりそうだ。だぶだぶのトレーナーはその膨らみの先端からぶらぶらと揺れ、床をこすりそうなほどの丈があったはずの裾は、膝のところまで持ち上がっている。

「はい…どうぞ。」

コーヒーをテーブルに置きながらそういうと、彼女もまた、ぼくが来たときのいつもの“定位置”、ベッドの端に腰掛けた。その動きで、また、ロングトレーナーの中の二つのカタマリが、ゆっさ、ゆっさと揺れ動く。その大きさにドキドキしながら、彼女の動きを目で追う。

しかし、そのロングトレーナーはもともとがかなり大きめのものだ。たしか、USAサイズのXLだったと思う。そのため、胸はともかくとして、袖などはすそを折ってもまだ余っている。その折口からはやっと手の先だけが出ている程度だ。

香織は、たたんだ袖口をうまく使って熱いコーヒーカップを両手で持ち、ふーふーと熱心に息をふきかけてから、ゆっくり、一口、こくり、と飲んだ。(猫舌、だったよな…) その姿がなぜか、とてもぼくには可愛く、いとおしく思えた。…それを見ていたら、自然とぼくは玄関で話しかけたことを話さずにはいられなくなった。

「あの、この間は…ほんとにごめん。ぼくは、どうかしてた。…せっかく元気を出してもらおうと思ったのに…途中で帰っちゃったりして…」
「……?」
「…ぼくは…その、大きくなったって、聞いてたけど、香織がそんなに大きくなってるのを直接見たら…やっぱり、びっくりした。それはホントに正直な気持ちだった。でも…大きくなっても、香織は、いつもの香織だった。…でも、ぼくは、その…あ、あんなにその…香織が…大きくて、かわいくて…。…いや、その…」

言葉につまってしまう。しかし、香織はじっとぼくの事を見つめたまま、いっしょうけんめい、ぼくの言うことを聞いている。心なしか、頬がほおっと桃色に染まっているように見えた。ぼくは、ぐっ、と息をのむと、思い切って彼女の前に立ち、続きの言葉を紡ぎ出していく。

「そう、そうなんだ…ぼくは、きみが…好きだ。好きだって、言わなきゃいけなかったんだ。小さい頃からつきあってきたから、一緒にいるのが当たり前に思っていた。けど、この前、そうじゃない、ってわかったんだと思う。でも、そう言えなかった。…なぜだろう。ぼくは…弱虫だよ。こんなデカイ図体で。…ほんとに、ごめん。」

「……」
「そんなこと言われても、困るかもしれない。…けど、電話をもらったとき、それをちゃんと言わなきゃいけない、って思ったんだ。」

一気に自分の想いを吐き出し、そのままぼくは彼女の顔を見つめ続けていた。



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