【真琴と誠】  ばんがいへん。そのいち

  はじめて、あったとき。

「あわわ、い、いってきま〜す!」
「もう、早く起きちゃぇばいいのに…誠っ! もうすぐ6年生なのに、まったくもう…はい!」

ばあん! と靴を履いたばかりのぼくの背中をひっぱたくかあさんの大きな声。それといっしょに、玄関をとびだすぼくに、ひゅ、ひゅっ、と黒いカタマリが飛んでくる。おにぎりだ。

「いつも、ありがとう!」
「明日からは、時間になったらたたき起こすわよ!」

口に手を当てて叫ぶかあさんに手を振ると、ぼくは両手で受け取ったおにぎりを口にほおばりながら、バス停に行こうとした。玄関のほうからバス停の方に振り向き、ダッシュしようとしたら、目の前にはワインレッドのセーターが…。

(…あ、やべ…)

ぼすん! …ぼくは勢いよくその背中にぶつかってしまう。

「きゃっ!」  「あわわわ…」

ぼくは、そのままつんのめり、ぶつかってしまった身体の持ち主といっしょに道路に倒れ込んでしまう。どさっ、という音といっしょに、ぼくの顔はふかふかしたものに包まれていた。

「…いったぁい…」  かわいらしい声が頭の上から聞こえてきた。

「う…む…は、へ、ほ、ほめんなふぁいっ!」

ふかふかな感触をほっぺたに感じながら、ぼくは声に出したが、そのふかふかのせいで口がちゃんと動かない。

と、ぼくの両腕をがっちりした手が掴むと、ふかふかに顔を埋めたままで、ひょいっ、と持ち上げられ、両脚が 地面にすとん、と落とされる。

「…た、たいひょうふ、れすか?」 ぼくの声はまだくぐもっていた。
「…う、うん、ちょっと、びっくりした…けど…。ごめんなさい、あたし、ぼーっとしてて…、だいじょぶですか?」

その声は、まだぼくの上から聞こえていた。なんの気なしにつ、と上を見上げると、おかっぱ頭の、妙に可愛らしい顔が心配そうにぼくのことを見下ろしていた。

そこで、ぼくは、その女のひとがぼくよりも20cm近く背が高いことに気がついた。…てことは…。

「…あ、だい…じょぶ…です。…!!」

ぼくの顔は、その女のひとのちょうど胸のところに埋まっていた! 見上げた顔の両側に、ボイン、ボイン、とふたつの大きなカタマリが飛び出している。

(…うわぁ、かあさんの特大おにぎりより…) …ぼくは、へんなことをつい考えちゃった。

「…おっきい…」  …まるでぼくは、なんだか、おかあさんに抱かれた、幼稚園の子みたいだった…

「え? あ、ご、ごめんなさいっ!」

うっとりして目をつぶっていたら、それが合図になったのか、その女のひとは、ようやく、ぼくを抱いていたことに気づいたみたいで、すごい勢いでぼくの顔をそのおっきな胸から引き離してくれた。

ちょっと離れたところで見たら、ぼくよりもずっと背が高いのがなおさらよくわかった。最初に目に飛び込んできたワインレッドのセーター。今度はそのおっきな胸のところがぼくの目の前に来ていた。…すごく、おっきい。セーターの胸のところは、見たこともないくらい、ぱんぱんに膨らんでいて、身体の両側にはみ出している。ぼくは真っ赤になって、でも、その可愛らしい顔から、目が離せなくなっていた。

「…えと、すいません、‘若葉台’っていうバス停、どこか知りませんか? あたし、引っ越してきたばっかりでよく知らなくて…」

その声で、ぼくははっ、と気がつく。…いけね、このままだと遅刻しちゃう!

「あ、ぼ、ぼく知ってます! いっしょに行きましょう!」

あわてて、その女のひとの手をつかむと、だっ、と駆け出す。 …全速力で走るぼく。かけっこなら、クラスでもだれにも負けないスピードがだせる。一瞬、ぐっ、と引っぱられるカンジがしたが、すぐぼくの手を握り返してくる。

ふと、振り向くと、その女のひとは、らくらくとぼくについて走っていた。おまけに、いっしょうけんめい走るぼくを見て、にこにこしている。そのおっきな胸が、ぶるんぶるん揺れていた。…ぼくは、また顔が真っ赤っかになっていた。




「…はっ、はっ、ま、まに…まにあっ…たぁ…」

バス停に着いたとき、ぼくの心臓は、ばくばくばくばく…と、胸から飛び出しそうないきおいではね回っていた。とっても息が苦しかった。でも、ぼくが手を引いていた女のひとは、ちょっと息をはずませてたんだけど、 2〜3度深く息を吸って、はいて、をくりかえしたら、もとに戻っちゃったみたいだった。…その上、息を吸い込むたびに、そのワインレッドのセーターのおっきな胸元のふくらみが、ぐぐぐん! とさらに大きくふくらんで、セーターがはちきれそうになっていた。…それで、ぼくの心臓は静かになるどころか、ますますどきどきしていた。

その女のひとは、ぼくにやさしい笑顔を見せてくれると、すごくやさしくぼくにお礼を言ってくれた。

「どうもありがとうございます! …もっと近いのかと思ってたけど、意外に遠いんですね!」
「…?」
「…あれ、どうかしました?」

なんか変だ。どうして、年上のひとが、ぼくにていねいなことばを使うんだろう? ぼくは、妙に恥ずかしくなって、下を向いてしまう。

「…あ、いけない、はじめまして! あたし、木原真琴、10歳になったばっかりの5年生です! こんど、おかあさんの仕事のつごうで、若葉台に引っ越してきました! おうちは…えっと、…4丁目・12番・じゅう…ろくです! 転校して、若葉南小学校5年2組に入ることになりました! よろしくお願いしま〜す!」

そういうと、ぼくより頭2つぶん以上おっきなからだを、ぐいん! って曲げておじぎしてくれた。そして、ちょうどぼくのお腹あたりまで下がったあたまを、また、ぐうっと持ち上げて、元にもどる。…その動きのたびに、ワインレッドのセーターの胸のところが、ゆっさ、ゆっさと揺れ動いている。…これで、小学校5年生!?
「…え…、じゃ、ぼくの家の…となり? そんで、ぼくのクラス?」
「あ、そうなの?! …きのう、おかあさんとあいさつに行ったんだけど…」
「ぼく、ちょっと友だちのところへ遊びに行ってたから…。」
「そうかー。じゃ、あらためて、ヨロシクお願いします! …やったあ! ラッキーよね! おとなりさんの上に、おんなじクラスなんて、運がいいよね! ね!」
「あ、…うん、そ、そうだね。ぼく、西川誠。こっちこそ、よろしく。…」

ぼくは、その先、言うことがわからなくなる。…びっくり、というか、信じられない気持ちで、その…女のひと…いや、同級生になるはずの、木原真琴‘さん’を、ぼーっと見上げていた。

じーっと、見られているのに気がついた、木原‘さん’は、あ、とつぶやく。

「…えっと、ごめんなさい、あたし、おっきいでしょ? …いつも、おとなだって、思われちゃうの。…だって、身長171cmの小学校5年生なんて、どこにもいないもん! しかたないから、おかあさんに言われたから、いつも、バスに乗ったり電車に乗ったりするときも、オトナ料金にして…おまけに、こんなにおっきな…」
そういうと、木原‘さん’は、自分のセーターのふくらみを、えいっ、と持ち上げ…
「おっきな胸しているから…すぐ、ヘンなおにいさんとかが寄ってきちゃって…あたし、もう小4のときから、ランドセル、してないの! すっごく、へんてこなの…。」

…ぼくは、なにも言えずに、だまったまま、いっしょうけんめい話す、可愛らしい顔を見つめていた。頭の上にあるカチューシャがすごく印象的だ。ひとこと、ひとこと、話すたびに、きちんと切りそろえたさらりとした髪が揺れている。と、だんだん、木原‘さん’の目が赤くなって、うるうる、しているのに気がついた…。

「…でもでも、ほんとに、あたしは小学5年生! …みんな、びっくりしちゃうけど…あたし、ぜぇぇったい、10歳の5年生なの!」
「……」
「…あ、あの、に、西川…くん、ご、ごめんなさい…はじめてなのに、こんな、変なこと言っちゃって…」

さいしょの元気なのとはまったく正反対に、木原‘さん’は、すごく、しょぼん、としてしまっている。
そうか、いつも、木原‘さん’は、きっと、まわりのおとなはもちろん、同じくらいの年のひとにも、「おとな」あつかいされちゃってたんだ。…でも、そうじゃない。ぼくと、おなじ。すぐに笑ったり、すぐに悲しくなったり、またすぐにこにこしたりする、小5の、女の子なんだ…

泣きそうな顔で、じっとしているのを見て、ぼくには、なんだか、さいしょはおとなっぽく見えていた木原‘さん’が、ずっと前からとってもなかよしだった、クラスメートの‘真琴ちゃん’に見えてきた。

「…あの、木原さん…」   おずおずと、その顔を見上げながら、ぼくは話しかける。
「…??…」
「えっと、さ、キミ、たんじょうび、いつ?」
「…じ、12月の24…」
「ぼくは、6月1日。…てことは、ぼくのほうが、6ヶ月もおにいさん、ってことだね。よし。…ね、キミのこと、真琴ちゃん、って呼んでいい?」
「…それって…」
「うん、クラスもおなじ、家もおとなりさんなんだし。…でも、ぼく、年上だからね。ちゃん、でもいいよね?」
「…は、はいっ! ありがとうございます! 西川さん!」
「あ、いや、…ぼくのことは、くん、付けでいいから…」
「…ほんとに、ありがとうございます! よろしくお願いします! …やったぁ! ともだち・だい1ごう!」
真琴ちゃんの顔が、ついさっきとはぜんぜんちがって、またまたにこにこ、にこにこ。それだけじゃなくて、うれしくてしょうがないのか、ぼくの周りを、ぴょん、ぴょん、飛びはねる。それにあわせて、その‘おっきな胸’がいままでにないくらい盛大に、ゆっさゆっさ、ゆっさゆっさと、はね回っていく。…ぼくはそれを、いろんな方向から、見ることができた。ま横から見ると、胸の前に、ふたつのふくらみが、ちょっと上向きかげんのたまごみたいな形に、ずどん!っていうカンジで飛び出しているのがよくわかった。…なんだか、お父さんがたまに買ってくる雑誌のカラー写真にでている、水着のおねーさんのより、ずっとおっきい…。

…おとな、みたいなのに、ぼくと同級生…。ぼくは、なぜか、また顔がぽっぽっ、と熱くなってきていた。

ごん!

「あいたぁっ!」 「わっ…むふっ!」

にぶい音と悲鳴がして、ぼくは真琴ちゃんのほうを振り返る。…と、ワインレッドのセーターがぐわ、とぼくの方に迫ってきて、そのままぼくは彼女のでっかい胸の下敷きになって倒れ込んでしまった。やわらかいミサイルのようなふくらみがずっしりと顔にのしかかり、息ができなくなる。

「…あ、ご、ごめんなさい!」
そう言うと、彼女はすぐ両腕を地面に着いて、身体を持ち上げていく。しかし、そのおっきな胸は、腕を伸ばしきってもまだぼくの鼻先を押さえつけていた。…膝をついて上半身を持ち上げたところで、ようやく胸の圧力から開放された。

ふたりとも立ち上がると、バス停の脇にある、若葉台の案内板の柱が30度くらい曲がっているのが目に入る。
「…飛びはねすぎちゃって、背中で看板にぶつかっちゃったみたい…えへへ」

ぺろ、と舌を出して頭をかく真琴ちゃん。その案内板に両手をかけると、「えいっ!」というかけ声と同時に、あっという間に元通りに戻してしまう。…案内板は幅1m・高さ1.2mくらいあり、柱はかなりの太さだ。なのに、真琴ちゃんは、まるで曲げたボール紙を平らにするように、あっさりと元通りにしてしまった。

びっくりして、なにも言えないぼく。…そこにバスがやってきた。

「あ、バスだ!」

なんにも起こってなかったように、近づくバスの停車する場所に、こんどは、彼女が無邪気にぼくの手を引いてくれていた。そのすぐ隣で、ぼくは彼女のにこにこ顔と、そのすぐ下にある「おとなよりもずっとおとなっぼい」同級生のすごくおっきな胸のふくらみを、なんだか、ふしぎなきもちで見ていた…。

まるで、おかあさんに、学校に連れて行ってもらっているような…


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