あの笛地静恵さんから、また、すばらしいおはなしをちょうだいしました。
みごとな世界観のものがたり、ほんとうにありがとうございます。こころから感謝いたします!

こんかいも、和風のふんいきを出すために、明朝体の表示にしています。
だいぶ文字が大きめかとは思います。読みやすさなど、ご感想いただけると幸いです…



■□■□■□■□■□■□■ 大日本女王帝国シリーズ ■□■□■□■□■□■□■

 箱庭の楽園 

 さく: 笛地静恵 

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1.ウサギ小屋へ


 青い滝壷だった。真円に近かった。二人の美しい少女が、無心に遊んでいた。生まれたばかりのような素裸だった。時折、崖の上の青い空を見あげていた。その顔は、寂しくて母を捜している幼児のようにも、まだ神さまが創造してくれないアダムを、期待に目を輝かして待っている、二人の妙齢のイブのようにも見えた。



 すずきのこせがれか
「れじゃらんど」とかいうとったなあ
 わしらのむらにつくろうとしておるそうじゃ
 おるそうじゃ 
 こまったの
 このじだいに
 こまった
 なんとかせねばなるまい
 なんとかの
 さくやひめにおうかがいをたてねばなるまい
 なるまいの





 柳村に下りる峠は、山の斜面を吹き上げてくる風が強かった。森が、轟々と泣いていた。美少女の長い黒髪が、靡いていた。少女は長く、しなやかな指の手櫛で、ほづれ毛を整えようとしていた。山に囲まれた、盆地の村を見下ろしていた。厚い唇が半分、開いている。箱庭のように理想的な光景だった。黒い四輪駆動車のボンネットに片肘をついていた。

青い川が、村の中央部を流れている。それに平行して街道が通っている。彼女の視力は、農機具を積んだ軽トラックが、のんびりと走っているのを発見していた。川沿いに、瓦葺の屋根の集落があった。耕された段々畑が、緑の階段を作っていた。雑木林も、人の手が入っているので明るかった。大日本女王帝国の忠実な農民達が、代々、手を入れて作ってきた光景だ。血と汗と涙の傑作だった。壮大な盆栽のようでもあった。

「欲しいわ」

 赤いぷくりとした唇が、そうつぶやいていた。




 俺、矢作夏彦(やはぎなつひこ)は、プロイセン帝国に仕事で単身赴任している父の都合で、祖父母の実家に住んでいた。母は、俺が小さな頃に亡くなっている。乳部山脈の麓の柳村という場所である。名前にある柳の樹は、一本も生えていなかった。昔は、街道沿いに見事な、しだれ柳が垂れ下がっていたらしいが、今はない。物知りの祖父によれば、村に飢饉が襲った冬に、柳の木の皮まで食ったか、燃料として使ってしまったらしい。それで、全滅してしまったという。盆地の貧しい村だったのだ。

俺は、柳小学校という小さな学校に通っていた。分教場なので、生徒の数も少なかった。学校の規則で、校庭の隅のウサギ小屋の世話は、六年生がすることになっていた。春休みに入っていたが、生き物の世話に休みはない。

新六年生は、男子が一名、女子が一名しかいなかった。交替でウサギの世話をすることになっていた。級長と副級長でもあった。女子生徒の名前は、春香と行った。俺が転校してきた四年生の春頃から、いつも一緒だった。小さくて日に焼けて黒くて、おかっぱ頭に黒い瞳なので、なぜか、たぬきの子供を連想してしまう。不愉快になると、口を尖らすところも似ていた。

昔は、取っ組み合いのケンカをしたこともある。小学校五年生になって、俺の体が大きくなってから、疎遠になっていた。女の子を負かしても、別に、どうということはなかったからだ。男の勲章にはならない。川で泳ぎ、虫捕りに行き、星が灯るまで、泥だらけになって遊んだ。ごく普通の友達の中だった。しかし、最近は、なぜかその関係が、ぎくしゃくしてしまっていた。

春香が、中学生になったら、俺が自分と同じ山向こうの蛙村小学校に行くのではなくて、都会の学校に転校してしまうと知ってしまったからだ。五年生の最後の進路相談の席で、担任の先生が秘密にしていた情報を、不用意に漏らしてしまった。どうやら春香は、村と自分のことを、無慈悲に捨ててしまうつもりだと、考えてしまったようだった。怒っていた。このごろは、ウサギの世話をしていても、不機嫌な顔をして黙っている。口を聞いてもくれない。気まずい時間が流れていた。


始業式の前日の今日は、休みになる日だった。自分の当番ではなかった。だが、机に忘れ物をしたという口実を作って登校していた。春香に会いたかったのだ。彼女は無言のままだった。俺は、ウサギ小屋の地面に敷く藁を、置き場から両手に抱えこんで、一緒に運んでやっていた。一度にかなりの量なのだ。やせっぽちで小柄な春香には、きつい仕事に思えた。

小学校の校庭の隅にあるウサギ小屋の前に、見知らぬ少女が立っていた。中を覗きこんでいた。

床の面積は、畳一枚分もない。日に焼けて、黒くなっている杉板を張り合わせただけの、掘っ立て小屋だった。目の粗い金網が張ってある。黒と白のウサギの毛が玉のように絡んでいた。屋根はトタン張りだった。ある先生が、日曜大工で建てたものだ。板に、太いマジックの、子供の字で、大きく『黒兵衛と白ちゃんの家』と描かれていた。地面が剥き出しだった。寒くないようにという配慮だろう。藁が厚く敷かれていた。

彼女が、先生が言っていた転校生なのだろう。黒土千秋(こくどちあき)という子だった。自己紹介をしてくれていた。

「黒い土に千の秋と書くのよ」

声までが美しい少女だった。長身である。五年生の一年間で十センチも延びて、百六十センチに届こうとしている夏彦よりも、目の上でまっすぐに切りそろえた髪の毛の分だけ、さらに高かった。
百四十五センチしかない春香は、二人の大人に挟まれた小人のようなものだった。ウサギの世話は、きちんと済ませた。

「あたし、帰る」

いきなり、そう言うと、どすどすと、ズック靴で地面を踏みつけるようにしながら、帰ってしまった。まだ、俺のことを怒っているのだ。困っていた。黒土さんは、学校を見学に来たのだ。案内するのも、級長と副級長の仕事だった。明日のことが、今日になっただけだ。
校舎の中を案内した。彼女は、理科室が気に入ったようだった。古いホルマリン漬けの標本を、じっと覗き込んでいた。薄暗い教室で大きな瞳が異様に光っていた。

最近は生徒数が少なくなって、分教場という扱いになっていたが、昔は柳村よりも、乳部山脈の上にある村落の子供達は、全部、ここに勉強に来ていた。木造二階建ての校舎は、それなりに大きくて広くて立派だったのだ。地元の山の木々を使っている。三十センチ角の杉の柱は、代々の小学生の手と雑巾に磨かれて、堂々と黒光りしていた。

気になるのは、黒土千秋が口元に、いつも同じ笑みを見せていたことだ。大きな唇の両端が、くいっと、上に吊り上がる。それに呼応するように目元も、上がる。狐のような顔に見えた。仮面のようだと思った。





矢作夏彦の日記 4月7日(金) 快晴

黒土千秋さんが、転校してきた。お母さんは、今度、村の診療所に赴任してきた、お医者さんだ。お父さんは、『黒土開発』という大きな不動産会社の、社長をしているという。

背が高い。朝礼の台の上では、はげ頭の校長先生よりも、頭半分は大きかった。百六十五センチはあるだろうか。百六十センチで、柳小学校では、もっとも大柄な俺よりも、さらに大きいだろう。きれいな人だ。ブラウスが、御姫様の衣裳のようだ。スカートの前で、長い手を組んでいた。白い靴下に、黒のエナメルの靴が光っていた。脚も長い。手足が長いのだ。

教室で自己紹介をした。黒い髪が光っている。艶があるのだ。白墨を取って黒板に、まるで御習字の手本のような字で「黒土千秋」と書いた。日本人形のような顔をしている。髪を眉毛の上で横一文字に切って、きれいに揃えているからかもしれない。でも、目鼻立ちは大きくて、くっきりとしている。唇が赤くて大きい。ぽっちゃりとしている。

級長の俺と、副級長の春香との間の席に座った。
「よろしく」

俺にも、頭を下げて、にっこりと微笑してくれた。石鹸の良い匂いがした。長い髪から漂うシャンプーの香りだろうか?横目でちらりと見ると、ブラウスの胸元が、三角形のシルエットを作っている。大人のような大きな胸をしている。


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矢作夏彦の日記 4月8日(土) 快晴

教室の生徒達は、みんな何かひとつの仕事を、受け持つことになっていた。黒土さんは、俺の予想に反してウサギの飼育係になっていた。図書係でも希望するのかと思っていた。生き物の世話は、大小便で手が汚れることもある。都会の子で大丈夫だろうか? 内心、心配していた。

だが、黒土さんは初日から真面目に取り組んでくれていた。彼女は、生き物が大好きだと言った。都心のマンションでは、小さな生き物を、ガラスのケースの中に飼っていたと言っていた。ハムスターだったろうか?ともあれ、ウサギの世話ができて、嬉しい。あの仮面のような硬い笑顔で、話してくれていた。

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矢作夏彦の日記 4月14日(金) 晴

彼女は、春香が言うような、きれいなだけの人形ではない。感情はあるのだ。それが、顔の筋肉で、自然に表現できないだけなのだ。美人だが、たとえば春香の自然で温かい笑顔と比較すると、冷たい印象があった。顔の造作が、整いすぎているからかもしれない。人形のようだった。無表情なのだが、感情がないのではないのだ。むしろ、何か激しい感情を隠そうとしているために、そうせざるを得ないのではないかと思えた。

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矢作夏彦の日記 4月20日(木) 晴

下校の時に、春香が俺の脇を走りすぎていった。いきなり、ピンク色の舌を出した。「あっかんべー」をされた。なんだっていうんだ。頭に来るやつだ。

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矢作夏彦の日記 4月29日(土) 快晴

全校生徒参加の「春のマラソン大会」があった。俺は、マラソンには、自信があった。しかし、黒土さんには、追い越されていた。ぴったりと後ろについていたが、ついに抜かせなかった。力走という感じではない。周囲の村の風景を、ゆっくりと眺めて楽しんでいるような、ゆとりさえ感じられた。応援してくれる沿道の村の人たちにも、手を降っている。

ほとんどが、おじいちゃんやおばあちゃんだった。村の名物ばあさんの、おふゆさんもいた。いつも、ぶつぶつと独り言を言っている。まじないも、するという評判だった。親戚の伯母さんで、顔の疣が、ぽろりと落ちたという人を知っている。百歳を越えているはずなのに、曲がった腰で、俺にも元気に手を振ってくれていた。

それなのに、歯を食い縛って全力疾走している俺が、抜かせないのだ。上半身が、ほとんど揺れていない。彼女の顔のように、計算されて完成した走り方なのだ。長い素足が、一定のストライドを刻んでいく。坂道になっても、リズムが狂わない。専門のトレーナーについた正式な走り方に思えた。自己流で勝てる相手ではなかった。

それでも、食い下がっていった。体操服の下の胸は、大きく揺れていた。下着を付けていない。背中の線でそれがわかる。乳首が透けていた。滑るように、村の中央を流れる田川の脇の街道を、走っていた。秩父山脈から吹き降ろす風に、黒髪が長く靡いた。大きなブルマの尻が、左右に艶かしく揺れていた。張ち切れそうに盛り上がった頂きの部分。そこの生地を、太陽の光が暖かそうに舐めていた。まばゆく反射していた。男子生徒ばかりではない。男の観衆や、沿道の要所で監督をしている先生たちの視線までも、釘付けにしていた。

長い両手を上げていた。ガッツ・ポーズを取りながらゴールのテープを切っていた。俺が二着、春香が三着だった。春香の手を取って祝福していた。大きな胸に抱きしめていた。ようやく大きな同級生の抱擁から逃れた。ぷふうあああ。長時間、潜水していた人のように、大きく息をついていた。黒土さんの乳房の谷間の海に、溺れかけたような顔をしていた。おかっぱ頭の真っ赤な顔が、たぬきのようで、おかしかった。

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矢作夏彦の日記 4月30日(日) 晴

悪夢を見た。俺は家の前庭から、西の乳部山脈を見上げていた。山の端が明るい。あそこは、標高で三百六十五メートルある。柳村自体が、五十メートルぐらいにあたるらしい。それでも、三百メートルの高さがある。月の出る刻限だった。白い月が昇ってくると思っていた。黒い雲が、むりむりと盛り上がってくる。嵐が来そうだった。

しかし、それは雲ではなかった。人間の髪の毛だった。

上がってきたのは、黒土さんの顔だった。途方もなく巨大だった。月のように白く光っている。美しかったが、激しい恐怖心があった。あまりにも巨大だったからだ。村を見下ろして笑っている。鼻息が、風のように吹き降ろしてきた。村の木々を、とよもしていった。三百メートルの山の向こうから、大蛇が何匹も現れてきた。山を締めつけて握りつぶしている。黒土さんの指だ。稜線の形までが、握力のせいで変わってしまっていた。

びっしょりと寝汗をかいて、目を覚ました。なんでこんな奇妙な夢を見るのか。理由が、よく分からない。マラソンでの敗北が、それほどにショックだったのだろうか。そんなつもりも、ないのだが。


 おつかいがまいった
 おきつねさまじゃ
 うつくしい
 めすきつねじゃ
 おちごさんはこわいおもいをするじゃろう
 ねしょうべんをもらすかもしれん
 うはは
 わはは





2.転校生は魔女


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矢作夏彦の日記 5月8日(月) 快晴 雲の流れるのが速い

連休が過ぎた後では、春香は黒土さんと、すっかり親しくなっていた。マラソン大会の俺を負かした快走に、すっかり気をよくしている様子だった。金魚のなんとかのように、黒土さんのブルマのお尻に、くっついて歩いていた。俺の方を見ては、くすくす顔を見合わせて笑っている。休み中、二人でウサギの世話をしていたはずだ。その時に、何かあったのだろうか?

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矢作夏彦の日記 5月13日(土) 晴 

春香が、俺とも話しをしてくれるようになってきた。ウサギ小屋で、白ちゃんに無心にチッコ草を上げている、彼女の横顔を可愛いと思った。なんていうのだろう。大人っぽいのだ。今までは、小さな女の子の顔であったものが、いきなり焦点が合ってきたように、くっきりとしてきた。
顔の造作は変わらない。切れ長の小さな瞳も、低い上を向いた鼻も同じなのだ。それなのに、何かが変わっている。彼女のブルマが食い込んで、白いパンティがはみ出ている、お尻のもぞもぞとした動きと曲線に、どきりとした。どうなっているのだろうか?これも、黒土さん効果なのだろうか?

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矢作夏彦の日記 5月17日(水) 雲

黒土さんは、お母さんが医師だ。無医村だった柳村の診療所に、来てくれたのだった。お母さんは、飾らない性格の名医として、村のお年寄りたちにも、評判が良かった。村会議員をしていた祖父の元を鈴木村長が、訪れていた。春香の本家の人だった。酒が好きで、いつも赤ら顔をしている。項が、茹蛸のように赤い。この間のマラソン大会の噂話をしながら、談笑していた。いひひひひ。彼の笑い声だった。自然に、千秋の話になっていた。酒と日焼けで赤ら顔をしている。

「母子揃って、いや、どうも、なかなかの上玉ですな」

ちょび髭の鼻の下を伸ばしていた。手のひらをお椀型にして、胸の前で、上下にぼいんぼいんと、揺らして見せた。矢作の坊主と、俺を呼んで小さな頃から可愛がってくれる。旅館を経営しているので、柳村を訪問する旅人の話しを、面白おかしく聞かせてくれる。そういうところはいいのだが。どうも、不愉快だった。

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矢作夏彦の日記 5月24日(水) 雲りのち雨

鈴木村長さんが、またやって来た。客間のドアが、少し開いていた。立ち聞きをしていた。どうやら千秋さんのお父さんの『黒土開発』という会社が、村の土地を買い取って、「一大レジャーランド」を開発するという計画があるようだった。

今度の村議会で、その賛否を問う投票をする。議員の祖父へも根回しに来たのだろう。祖父の矢作家は、代々、柳村の庄屋様をしていた家系だった。第三次世界大戦の後の農地解放で、だいぶ土地を縮小された。それでも、村の土地の大半は、矢作家のものだった。その影響力は、無視できないのだろう。

祖父は、村の素朴な自然が、乱開発によって破壊されることを心配していた。

「このままでは、過疎化で、廃村にまで、追い込まれてしまうですぞ!!」

祖母が用意した、うちの冷蔵庫で冷やしておいたタオルで、耳の穴まで拭いていた。雄弁だった。村は、高齢化が進行していた。若い人は、大都市に出て行ってしまう。俺も、まもなく柳村を去らなければならない。人がいなくなれば、田畑は荒れる。雑木林にも、手を入れられない。村の美しい景観を守れない。時代の流れに合わせて、人を呼んで、昔のような豊かな村を作るべきではないか。そう力説していた。難しい問題だった。小学生の俺には解決がつかない。

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矢作夏彦の日記 5月26日(金) 雨

今日、偶然に黒土さんのお母さんが、往診用に乗っている黒いBMWと、街道ですれ違った。タイヤが、水溜まりの水を跳ね飛ばしたところに、俺がいた。かかったので、止まって謝ってくれたのだ。山岳地帯仕様の頑健な黒い四輪駆動車だった。俺の顔を知っていて、挨拶してくれた。「いつも、娘が、矢作君のことを噂しているのよ」そう、言っていた。顔が赤くなった。何を言われているのだろう。でも、お母さんは、急病人が出たというので、急いでいた。それ以上、会話している時間はなかった。走り去ってしまった。俺も、将来はあんな車を運転して、山に登ってみたいものだ。

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矢作夏彦の日記 5月28日(土) 小雨

俺は春香に、すっかり黒土さんを独占されたような格好になっている。つまらない。明日は、俺の世話の番だ。千秋さんを誘うつもりだった。

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矢作夏彦の日記 6月1日(木) 雨

黒土さんの献身的な生き物の世話の仕方は、娘として母の真面目な仕事ぶりを、見てきたせいかもしれない。大便の処理一つでも、手慣れているという安心感があった。汚れても気にしなかった。ウサギの球のようなウンチを、指先に摘んで、平気で始末していた。ウサギは口答えしないから、好きだと言っていた。彼女のペットは、口うるさかったらしい。
言葉をしゃべるペットってなんだろう。オウムだろうか?秘密だという。笑って教えてくれない。

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矢作夏彦の日記 6月4日(日) 小雨

俺達は、先輩の六年生から仕事を交代した四月から、日曜日でも、休日でも、餌をやり、水を交換した。生き物に休みはない。小屋に敷いた藁が汚れていれば、交換してやらなければならない。給食の残り物や、野山で摘んできた雑草を食べさせた。黒土さんがいるので、この作業が楽しい。村では、チッコ草という名前で呼ばれていた。指で擦り潰すと白い液体が出てくる。ウサギには、乳のように甘いらしい。とくに喜んで食べる。それを、黒土さんに教えてあげた。喜んでいた。ありがとうと言ってくれた。

お礼にと、乾し肉をくれた。食べたことがない味だった。その夜は、眠れなくてこまった。俺の道具が、びんびんに立ち上がってしまった。扱いて出してやらないと、治まらなかった。今のオカズは、黒土さんの姿態だった。何か興奮させる薬のような成分が、入っていたのだろうか?

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矢作夏彦の日記 6月5日(月) 小雨

二つに割れた上の柔らかい兎唇を、せわしなく動かしている。もぐもぐと食べる様子が可愛らしかった。なんという種類だったか。チンチラだったか。白ちゃんは、牛乳のように白い毛に、赤いルビーのような瞳を持っていた。耳の中が、きれいなピンク色だった。黒兵衛の方は、もう立派な大人で、身体もすっかり大きくなっていた。体長は、五〜六十センチを越えていただろう。体重は、十キログラム以上はあっただろう。黒兵衛と、白ちゃんという名前も、いつ、だれが付けたのかさえ分からなくなっていた。下級生の中には、大きな図体を、こわがるものさえいた。

大きくても、可愛いものは可愛い。千秋さんも、そうだ。そういえば、春香も身長が伸び始めていた。成長期なのだろうか。今日、ブラジャーをつけていることに、初めて気がついた。今までは、洗濯板に乾し葡萄状態だったのだ。かすかに膨らみの丘が見えてきた。

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矢作夏彦の日記 6月6日(火) こぬか雨

ウサギ達の身体は、胸に抱くと温かくて柔らかかった。黒兵衛が、黒土さんの大きな胸に甘えている。頭を擦りつけている。くすぐったくて、彼女が笑っている。黒土さんは、長い指で、白ちゃんのふわふわした白い毛を、頭から尻尾まで、やさしく撫で下ろしてやっている。気持ちがよさそうだった。背中を丸くしている。じっと大人しくしている。耳を背中にぴったりとはりつけている。満足した証拠である。ウサギがうらやましい。

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矢作夏彦の日記 6月15日(木) 本格的な梅雨の振り

帝都から釣りに来ていた客が、乳部山脈から降りてこない。村からも消防団が、警察の捜索に協力して、山に入っていった。揃いの法被姿で集合したのは、ほとんどが胡麻塩頭のお爺ちゃんだった。藪を分ける棒が、足腰を支える杖になっていた。村の高齢化が、進行しているのが分かる光景だった。先頭を行く村長さんだけが、元気に大声を上げていた。

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矢作夏彦の日記 6月18日(日) 梅雨続く

黒土千秋さんが、家の都合ということで、お母さんの四駆で帝都に帰っている。久しぶりに春香と、ウサギの世話をした。その胸が、大きく膨らんでいるのに驚く。雨で濡れたので、体操服が黒く透けたのだ。乾し葡萄は、蜜柑にまで成長していた。俺は、女の子の身体のことは、よく分からない。でも、変化が急速すぎるような気がした。背丈も延びている。春香は、全身が痛いと言っている。寝ていると骨が軋むという。食べているから大丈夫と言っていた。そういうことでも、ないような気がするが。

捜索隊が、下山してきた。遺体も発見できなかった。乳部山脈は深い。火山が噴火した時の熔岩が冷えて固まって、生み出した深い穴が、いくつもある。地元では、泣き穴と呼ばれていた。風の方向によって、オオカミの遠吠えのように聞こえるからだ。内部は曲がりくねって、複雑に絡まりあっている。入ると、まず出られない。

そのうちの一つに、誤って落ちたのではないか?…村長達が、話していた。

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矢作夏彦の日記 6月21日(水) 暴風雨

黒土千秋さんは、まだ村に帰ってこない。彼女がいないと、小学校生活も、火が消えたように味気ない。俺ばかりではなくて、先生も、他の生徒も同じ気分になっているようだ。彼女の周りには、なんというのか、派手な空気が流れている。それが、俺達の気分も明るくしてくれるのだった。教室の空気は、天候のせいばかりではなくて、暗かった。先生の話では、千秋さんは都会の悪い空気に、持病の喘息の発作を起こしたらしい。そういえば、柳村に来た目的は療養だと言っていた。胸が悪いのだろうか? 心配だ。

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矢作夏彦の日記 6月22日(木) 嵐

千秋さんは帰ってこない。寂しい。放課後、春香に理科室に呼び出された。ホルマリンの瓶詰めの標本は、埃が積もるままに任されていたのに、今ではきれいに掃除がなされていた。日に焼けて文字が薄れ、剥がれそうになっていたラベルも、きちんと書かれて張りなおされていた。中の蛇までが、元気になったように見えるから、不思議だ。すべて、黒土千秋さんがやったのだという。春香も、いくから手伝ったと言っていた。感心していた。春香が、俺の耳元に口を寄せてきた。周囲に目をやってから、不安そうに囁いた。

「千秋さんは、魔女よ。近寄らないで! 危険な人なのよ!」

わけがわからなかった。自分が、あんなに仲良くしておいて、何を言っているのだろうか?

彼女が悲鳴を上げた。六時間目から、遠くの空が、ごろごろと唸っていた。雷だった。別に村の子供としては、珍しいものではない。それまでの春香ならば、鬼の太鼓と喜んでいただろう。

しかし、俺に抱きついてきた。俺の首に、骨の細い両手を巻きつけていた。反応が、過剰のような気がした。俺の胸で柔らかい物が潰れた。春香の乳房だった。蜜柑から夏蜜柑になっていた。胸だけではない。全身にも、みっちりと皮下脂肪がついていた。

「夏彦君、あたし、自分が、どうにか、なっちゃいそうで、心配なの! あたしを抱いていて! 見ていて!」

春香は、激しく匂っていた。身体が熱く汗ばんでいた。俺は、きつく抱いてやっていた。俺の脚の間に、春香のブルマから伸びた生の片足が入っている。日に焼けた太腿の上の筋肉で、男の股間を強く押し上げていた。

これは、わざとなのか? 無意識的なのか?

春香の腰が、リズミカルに動いていた。俺の睾丸を転がしていた。固くなった器官を、ブルマに押し当てていた。刺激していた。春香は、心も急速に大人になっているのだ。柳村では、少年は十二歳になると、村の大人の女の手で、男になる定めだった。俺も、女の肉体の味を知っていた。

そのままの態勢でいた。雨粒が、校舎の屋根と窓硝子をびしびしと叩いていた。それから、雲の底が抜けたような豪雨がやってきた。理科室の中は、暗かった。青い稲光で照らし出されるたびに、標本の動物の影が蠢いた。直後には、反対に、闇が深まった。二人とも息が荒かった。俺は春香のかすかに開いた口に、自分の唇を重ねようとした。彼女の息が匂った。

また落雷があった。春香が、二度目の悲鳴を上げた。弾かれたように、俺から離れていた。

理科室の入り口に、黒い人影が立っていた。

「ただいま」

…黒土千秋の、声が、した。

 きつねとたぬきは
 むらのおちごさまと
 ちぎらねばならぬ
 ならぬ
 いのちをささげねばならぬ
 ならぬ
 いのちをよぼう
 よぼう





3.スクール水着


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矢作夏彦の日記 6月24日(土) 台風一過の快晴

黒土さんは、放課後にウサギの世話をした後で、村のあちこちを見たいといった。俺は、当番ではなかったけれども、春香の言葉が気にかかるので、いっしょにいることにしていた。

今日は、小学校の前の道路を越えたところの小道を下って、「ししく岩」に行った。緑が滴るような森の中の踏み分け道を下っていく。春香は、俺の前を歩いていた。しんがりが、黒土さんだった。彼女と自分との間に、俺にいてほしいのだろう。

「なんだ、ライオンには、見えないわね。さえないの。つまんないわ」

黒土さんは、がっかりした様子だった。

「昔、雷が落ちて、砕けちゃったんだよ。その前は、とても、恐い顔をしていたらしいよ」

俺は、弁解をしていた。なんだか、村の大事な財産を、けなされたような気がした。

その次は、花紅寺に行った。寺といっても、神社も敷地内にある。このはなさくや姫という女神様を祭っているらしい。不二山のご神体であるという。創建は、古代に遡る。小さな村には不似合いの豪華で壮大な建築だった。黒土さんの感想は、一言。

「私は、抹香くさいの嫌い!」

どうも、評判が悪い。頭に煮しめたような醤油色の手ぬぐいをした、おふゆばあさんが、箒にもたれるようにして、境内を掃除していた。

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矢作夏彦の日記 6月28日(水) 晴れ

7月1日からのプール開きを前に、全校生徒が総出で、プールの掃除をする。去年の九月からは、ずうっと魚が泳ぐ生簀状態になっている。魚を網で掬ってから、プールの水を抜く。大騒ぎだった。下級生がはしゃぎまわっている。毎年、ちょっとした御祭り騒ぎになる。例年と比較しても、今年は印象的な日になった。黒土千秋さんの水着姿が見られたからだ。

普通の紺色のスクール水着だ。でも、彼女が着ていると、一流のモデルが、超一流の豪華な水着で、写真の撮影に来ている様な気分になる。王女様のような優雅な歩き方だ。モップで底に、こびりついた苔を削り取っているだけなのに。
長身でしなやかな体つきなのに、胸が大きいのが分かる。揺れる。揺れる。俺は、六年生として、下級生を指導しながら作業を進めていた。でも、横目で眺めながら、今晩のおかずを目の裏に焼き付けていた。

春香は体調を崩して、学校を休んでいる。何があっても、欠席したことがない彼女には、珍しいことだった。俺と一緒に、卒業式では、皆勤賞をもらおうと約束していたのに、それも駄目になってしまった。鬼の霍乱だった。

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矢作夏彦の日記 6月30日(金)

春香の容態が、重いらしい。黒土さんのお母さんの診療所にかかっていたのが、今朝、あの黒い四輪駆動車で、都会の病院に搬送された。黒土さんからのまた聞きだが、春香は成長のスピードが速すぎで、身体の安定が全体として保てなくなっている状況らしい。成長の速度に、肉体がもうやめてくれと、悲鳴を上げたのだ。よく分からないが、心配している。

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矢作夏彦の日記 7月1日(土) 文句なしに晴れ

 午前中は、プール開き。俺と黒土さんが、記念に初泳ぎを披露した。みんなの目が、彼女の水着姿に注目しているのは、いつものことだ。俺は、力いっぱいがんばったが、彼女のクロールに負けた。いちはやく上がった彼女が、プールサイドから手を伸ばしてくれる。俺の身体を、軽々と水の中から引き抜いた。筋肉が、目立つ腕でもないのに、力があるのだ。握力だけでも、物凄かった。喧嘩をしても、勝てないのではないかと思えた。

放課後、黒土さんが名づけた「柳村ツアー」にいく。今回は、滝壷。村で最大の滝がある。冷たい飛沫を全身に浴びながら、「すてき!」。褒めてもらえた。今回は成功だった。妙に嬉しい。

彼女の目で、村全体をあらためて眺める。緑の山に囲まれて、小さな箱庭のように美しい世界だ。転校してきたばかりの日の感動を、呼び覚ましていた。人間は何でも慣れてしまう。呼吸していることの、喜びにさえも気がつかない。外交官の父が、いつか、そう怒ったように言っていたことを思い出す。

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矢作夏彦の日記 7月7日(金) 七夕

村は、旧暦で七夕をやる。別にどうということもない日だったが、嬉しいことがあった。春香が退院して来たのだ。心配させてごめんなさい」全生徒に、頭を下げて謝ってくれた。大人びた口調と表情に、どきりとさせられていた。もともと春香は、下級生の女の子達には、絶大な人気がある。みんな周囲に群がっていた。

しかし、びっくりしていた。春香の身体が、見上げるほどに大きくなっていたのだ。子供ではなくて、大人の身体になっていた。

俺も、春から少しは大きくなっていて、163センチある。その俺と、目線の高さが、同じになっていた。痩せていた。丸い女の子らしい頬の線は、なくなっていた。青白い顔をしていたが、その分、きれいになったように思えた。表情は辛そうだったが、ウサギ小屋の世話も自分から申し出て、きちんとやっていた。黒兵衛を抱きしめていた。今までは、いかにも重そうに、よろよろしていたのに、今は体重を感じていないように、軽々と抱いていた。

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矢作夏彦の日記 7月9日(日) 晴れ

春香が帰ってきたので、今までは俺の役割だった『柳村観光ツアー』のガイド役が、彼女の仕事になった。黒土さんを案内しての、二人の時間が楽しかったのに。残念だ。春香は、まるで仲のよい姉妹のように、黒土さんに張り付いている。子猫のようにじゃれて甘えていた。いつかのあの不安な言葉は、どこにいってしまったのだろうか。森や川を案内して。好評のようだ。

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矢作夏彦の日記 7月17日(月) 晴れ 風強し

今日、放課後の夕方の時刻に、ちょっとした事件があった。ウサギの世話を終えて、帰宅しようとしていた黒土さんを、バイクの男達が、無人の山道で襲撃したのだ。五、六台はいたらしい。どうやら、柳村小学校に、すこぶるつきの美人がいるという噂が、村を越えた町の高校の不良たちの耳に、入ってしまったらしい。

春香が一緒だった。「あなたは帰っていいわ!」 …黒土さんの言葉で、その場所を逃げられたらしい。

「あなたたちの目当ては、私なんでしょ?この子は、関係がないわ」。

黒土さんは落ち着いていた。不良達と交渉してくれたのだという。自転車で俺の家に駆けつけた。緊急事態を通報に来たのだ。春香のTシャツの胸元が、荒い息に呼応して大きく揺れていた。いつのまに、こんなに膨らんだのだろうか。妙なところに注意が向いていた。

駐在所のおまわりさんと、現場に駆けつけた時には、黒土さんもバイクも、ともに姿がなかった。消防団が、事件のあった道路と、付近の山の中を捜索したが、発見できなかった。

夜まで心配していたが、祖父の農集の電話機に、診療所の電話から、黒土千秋さんの声で連絡があった。
「私は、だいじょうぶ、心配しないで」落ち着いた声だった。

お母さんのいる診療所に保護されていた。春香の家も、旅館を経営しているから、電話機がある。彼女は、診療所のベッドの脇にいた。千秋さんを、介護するといっていた。目立った外傷はないという。安堵していた。

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矢作夏彦の日記 7月22日(土) 終了式

黒土千秋さんの登場で、波乱万丈だった六年生の一学期が終わった。でも、俺には、やりのこした大きな宿題がある。ずうっと心にあることなのだが、実行できていない。夏休みこそ、そのときだ。がんばるぞ。

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矢作夏彦の日記 7月24日(月) 曇りのち晴れ

夏休みに入った。でも、黒土さんには、会うことができる。たとえ、お盆の休みでも、ウサギの世話を休むことだけはできないからだ。黒兵衛と白ちゃんに、感謝しなければいけない。

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矢作夏彦の日記 7月25日(火) 大風

今日、ウサギの世話を済ませた後で、黒土さんと二人きりになる時間があった。正式に交際を申し込んだ。
「俺と、つきあってください」  ふられた。
「あたし、男の人だめなの。ごめんなさい」 恐怖の表情が、浮かんでいた。
「この前、バイクに襲われたでしょ?あの時の恐怖心も、まだ消えてないの。悪夢を見るわ。だから、だめなの。ごめんなさい」

涼しげな眉間に皺がよっている。数歩、後ずさった。逃げるように校庭を走っていった。

あんなに、嫌われているなんて、思わなかった。ショックだった。黒土さんは、同性の女の子には優しかった。だが、俺を含めて男子には、敵愾心を持っているような気がしていた。

…そういえば、あのバイクの男達もまだ逮捕されていない。行方をくらましていた。

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矢作夏彦の日記 7月26日(水) 大風続く

午後、春香が俺の家に来た。ウサギの世話をしてきた、帰り道だという。Tシャツにジーパンという薄着なので、大人びてきた身体の線が目立った。女らしい脂肪の乗ったまろやかな体型に変化してきていた。自分でも驚くほどに、よく食べるらしい。
「家族全員よりも、あたし一人の方が食べるのよ」 笑っていた。全身が汗ばんでいた。女の甘い匂いが、ぷんとした。
黒土千秋からの、手紙を届けてくれた。きれいなピンク色の封筒だった。蝋の封印というのを始めてみた。菊の花が、刻印されていた。

「あなた、千秋さんに、何かいったんでしょ?」

にらまれていた。

「彼女、おちこんでいたわよ」

シャツの胸の下で両手を組んでいる。盛り上がった乳肉の重みのせいで、ブラジャーの紐が、はちきれそうに肩に食い込んでいた。

「べつに、なにも……」

とぼけていた。

自室で封を開いた。父の机から拝借した木製のペンナイフというものを始めて使用した。きれいな蝋の封印を、壊したくなかったのだ。用紙からは、千秋の髪と同じ匂いがしていた。あの大人のような達筆で、次のようにしたためられていた。

「 昨日は、ごめんなさい。

夏彦君の目が、私のことをずっと見ていてくれたことは、知っていました。ほんとうは、うれしいかったのです。女の子として、光栄なことです。ありがとうございます。
そのことだけは、わかってもらいたいと思いました。

でも、私は、男の人が、だめなのです。恐いのです。身体が震えてしまいます。パニックになります。あのままの状態でいると、発作を起こして倒れてしまうのです。そのせいで、この静かな村に、母と二人で療養に来ていると行ってもいいくらいなのです。昨日のことで、頭のよい夏彦君には、わかってしまいましたよね。

でも、もしも、私を好きになってくれるのであれば、一つだけ方法があります。夏彦君に、女の子になってもらうのです。魔法の薬があるのです。

一時間だけ、私の小さな妹になってくれませんか? 必ず、もとの姿にもどれます。そのことは、保障します。もう何度も、試しているから大丈夫です。

もし、私に会いたくて、私のことを本当に愛してくれるのならば、今晩、夜の九時に、学校の理科室にひとりだけできて下さい。朝まで待っています。来てくれると、信じています。

追伸:誰にも、秘密にしてください。もちろん、春香にもです。ばれると、魔法の薬が効かなくなりますから。
女の子になると言っても、別にあなたの、大きな「おちんちん」がなくなるわけではありません。安心していてくださいね。

                                        千秋 」

そして、彼女の赤い唇の痕があった。

口紅をつけてキスしたのだろう。皺までが克明に刻まれていた。俺は、そこに自分の唇を重ねていた。

行くつもりだった。他には、どうしようもなかった。「おちんちん」という言葉だけで、身体の器官が、一部分、激しく反応していた。
俺は手淫をしていた。俺の股間で、千秋の白い身体が全裸で踊っていた。幻想の白い乳房に、精を放っていた。

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矢作夏彦の日記 7月27日(木) 大風続く

昨日は、夜の八時には家を出た。先輩の家に遊びに行く。泊まるかもしれないと言った。親は何も言わなかった。いつものことだった。

学校には、八時半にはついてしまった。宿直の先生のいる棟からは、出切るだけ遠い方向から、校庭に忍び込んでいった。理科室のある棟の扉が開いていた。

彼女が、待っていた。窓からの月光に、下半身は明るいのに、顔は影になっていて、見ることができなかった。
ホルマリン漬けになった蛇が、ガラス瓶の中で鎌首を擡げていた。牙を剥き出しにしていた。回虫のように白い蛇には、目がなかった。

バイクの模型が、五、六台。棚の上に陳列されていた。二十分の一スケールぐらいのプラモデルのようだった。でも、車体は金属のような光沢を放っていた。あんなものが、いつから並んでいるのだろう。

「来てくれると、思ってたわ」

擦れた声に、嬉しそうな感情が滲んだ。赤い舌が、口からにょろりと出てきた。驚いた。舌なめずりをしているのだ。

「黒土さん、俺は……」

「それじゃ、魔法の時間の始まりよ」

話をしているゆとりもなかった。いきなりだった。彼女の長い白い腕が、俺の顔の前まで長く長く伸びていた。
顔に、冷たい霧のようなものを吹きかけられていた。何というのだろう。蛇の臭い。そんな感じだった。
青大将に脱皮したばかりの抜け殻に、触れたことがある。長いこと、指から生臭い鱗の臭いが取れなかった。あれと似ていた。

それからは、どういったらいいのだろうか? 俺と千秋の目線が同じ高さになっていた。

彼女が笑っている。白い歯を俺は見ていた。それから、顎の先から、胸元にと下がっていった。千秋が俺を見下ろしていた。
彼女は、立ち上がってもいない。床に片方の膝をついていた。強い腕の力で、俺を抱き寄せていた。背中を撫でられていた。

こわくない。こわくない。 …そんな言葉を繰り返していた。

俺は、確かに千秋の可愛い妹になっていた。胸に抱いてくれた。抱き上げて、頬擦りしてくれた。彼女の力は強くて、俺の身体を思うままに弄んでいた。俺は、大きな彼女の小さな玩具になっていた。すべての衣服は、俺の身体から、まるで滑り落ちたようになくなっていた。

しかし、恥ずかしくはなかった。いつのまにか、千秋も全裸になっていたから。

自然なことに思えた。俺達は、本物の姉妹のように、肌と肌を重ね合わせていた。しかし、俺の一部だけは、男の反応を示していた。千秋に悟られていた。

「まあ、いけない子ね。身体を固くして。女の子は、こんなものは、持っていないのよ。私がやわらかくしてあげる…」

温かいものに、包まれていた。舐められていた。俺の身体が、アイスクリームのように溶けていた。千秋に呑みこまれていた。その分だけ、さらに弱く小さくなっていた。

 むらのめだぬきが
 そだっておる
 めぎつねさまと
 まぐわっている
 おさかりじゃ
 おさかりじゃ





4.魔法のお薬よ


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矢作夏彦の日記 7月31日(月) 風

今日も春香が自宅に来た。ウサギ小屋に顔を見せないので、どうしたのだろうと思ったということだった。庭の土蔵の二階を改造した場所が、俺の部屋になっている。春香は何度も来ている。自分の部屋のような気安さだった。俺のベッドに断ることもなく、腰を下ろしていた。窓からは、風がそよりとも入ってこない。熱い部屋だった。

俺は、母屋の冷蔵庫から、彼女が好きなカルピスを持ってきた。コップにたっぷりと氷を入れた。二人で飲んだ。春香は額の汗を拭いていた。俺は、彼女の前に立っていた。それから、口を開いていた。

「千秋さんとのあいだに、何かあったの?」

「なんでもない」

そう答えるしかなかった。本当に思い出せないのだ。理科室に呼ばれたことは覚えている。それから、何があったのだろう。気が付くと、自分の部屋で寝ていた。どうやって帰ってきたのかも思い出せない。それでも、身体の一部が、彼女の粘膜を記憶していた。
…あれは、本当のことだったのだろうか? そんなはずはない。あれは、夢だ。夢に決まっている。

春香の疑い深そうな、上目使いの目つきが消えなかった。黒い瞳が濡れたように光っていた。睫も長くなっている。きれいだと思えた。昔は、狸のような目だと思っていたのに。

「痛ってってえ!」

春香は、いきなりTシャツの胸元を押さえた。ベッドの上で、ジーパンの大きな尻が飛び跳ねていた。

「どうした?」

心臓でも悪いのかと心配した。なんだかんだいっても、彼女は病み上がりなのだ。
春香は、顔をしかめていた。

「ごめなさい。なんでもないの。胸が脹れて痛いのよ」

「だいじょうぶ?」

「大きくなっているから、しょうがないの。退院してからでも、4センチ以上、膨らんでるから。子供用だと、もうサイズが合わなくて。お母さんのブラジャーを借りているの。乳首のさきっぽが、下着の裏側に擦れていたいし。女の子の宿命かしら……」

口元は、白い歯を見せて笑っている。それなのに、涼しげな眉間に、皺が深くなった。痛いのだろう。

男の子には、何もできない。どうにも分からない感覚だった。苦しんでいる春香には悪いことだ。

が、俺の股間も、半ズボンとパンツの中で、痛いほどに立ち上がっていた。もっこりと大きなテントを張っていた。長ズボンを履いていればよかった。自室では、いつも軽装なのだ。彼女に気がつかれないように、腰の角度を変えていた。男というのは勝手なものだ。ペニスに大脳も理性もないという意見は、本当だった。

「どうすればいい?」

春香の大きな瞳が、俺の目を見た。

「撫でてくれない?そうっと……」

春香は両手を交差させて、Tシャツの前の裾を持ち上げていった。白いブラジャーが顕わになった。頭から、シャツを引き抜いていった。脇の下が、顕わに見えた。瞬間に、女の子らしい体臭が、ぷんとした。
暑い日だった。俺は、心臓がどきどきしていた。口の中が渇いていた。頭の中が、まっしろになっていた。
股間の肉の、つっかえ棒のせいで、片膝を立てていないと、座っていられない状況になっていた。両膝をついていた。

「こうかな?」

春香のブラジャーから、柔らかな球面を見せて盛り上がっている白い乳肉の北半球に、そっと指先で触れた。
熱かった。

滑らかな肉の球体の上を、指先が滑るようだった。なんて濃やかな肌理なんだろうか。

「気持ちいい」

春香は、ため息をついていた。

「男の人の手って、冷たいのね!」   大発見のように、そう呟いていた。

「もっと、触って!」
「どうするのさ?」
「こうするのよ!」

彼女の右手が、俺の右の手首を握っていた。強い力で、引き寄せられていた。体の重心が泳いだ。いつのまに、こんなに強くなったのかと思った。単に、脂肪だけで身体が大きくなっているだけではないのだ。筋肉の力も、ついているようだった。

ブラジャーが、乳房の斜面を滑落していった。ジーパンの膝の上に小鳥のように落ちた。いつのまにか、背中のブラジャーの留め金具を、外していたのだ。
俺は、体を支えるようなつもりで、春香の向かって右の乳房に、手を触れていた。熱くて柔らかいマシュマロのような感触があった。生きているのだ。
春香の赤い血が、内部に充満して流れている。熱い肉の袋だった。

「あんまり、強くしないでね」

春香の乳房は、俺の片手にも余るぐらいの量感があった。冷たい手を添えてやっていた。心臓の鼓動を、直接に感じていた。

「こっちも、同じようにしてエ〜」

鼻にかかるような声で、春香が腰を捻った。向かっての乳房が自己を主張するように、ぷるぷると乳首を揺らしながら、前に出てきた。そっちは、冷たいままの左手で、撫でてやっていた。

春香は、首をのけぞらせている。口を丸く開いていた。彼女の口の中の匂いがした。キスをしたいと思った。

が、今がその時なのか、そうでないのか分からなかった。嫌われて、逃げられるのが、恐かった。
触れるだけで、握ることもできなかった。本当は、思うままに揉み解したかった。乳首にも触れないように、注意していた。しかし、小指の先が触れてしまった。

「痛い!」

 春香が、また叫んだ。

「あ、ごめん」   指に力が入っただろうか。

「ちがうの。夏彦君が悪いんじゃないの。乳首の先端が、擦れて痛いの……。ねえ、舐めてくれない……」

彼女の両手で、俺の頭髪に置かれていた。力を入れられているのではないのに、俺の頭は、自然に下がっていった。彼女の前で、両膝をついて座り込む態勢になっていた。

困ったことがあった。

半ズボンとパンツの中で、膨張し切っていた俺は、もう我慢の限界に達していた。それに、動きによる刺激が加わった。暴発してしまった。
快感が、一気に肉棒を駆け上っていった。

びうん。びうん。びうん。

精液の発射の力で、何度も反り返っていた。パンツの中が、生温かくなっていた。
…しかし、自分の快感に意識を集中している、ゆとりさえなかった。

至近距離で見る、幼な馴染みの十二歳の少女の乳房は、今までよりも遥かに大きく見えた。
複雑な陰影を持っていた。まろやかな量感が、強調されていた。
女の子の乳首というのは、近くで見ると、ずいぶん複雑な形をしていた。グロテスクでもあった。
春香の乳輪は、周囲の白い肌と比較すると、色が濃かった。薄紫色に近かった。
そこに、小さいが、でこぼこがあった。乳首にも、無数の細かい皺がよっている。
先端部分だけが、やや赤みが濃かった。

「お願い……」

後頭部を、春香の手のひらで押されていた。右の乳首から口に含んでいた。

考えていたよりも、ずっと固かった。赤ちゃんの頃の記憶が甦っていた。思わず、こくこくと吸っていた。甘かった。乳でも出ているような気がした。気のせいだろう。

「…ちょっと、強いわ。…舌で…乳首の周囲を舐めて」

無我夢中だった。舌を回転させていた。春香に指示に従っていた。ジーンズの大きな腰を、両手で抱くようにしていた。

「うう〜ん、ん…」

春香が、うめいていた。俺の頭部を、両腕で胸に抱きしめてくれていた。


     …長い時間が経っていた。


「ありがとう。もういいわ」

彼女の手が、俺の顔を押していた。床に大きく脚を開いて座ったままの俺の頭上で、ブラジャーとTシャツをすばやく身に着けていた。…もっと見ていたかったのに。

「今度は、お返し。夏彦君が、ベッドに座って」

俺のベッドの端を、ぱたぱたと叩いた。窓からの斜めの光線に、きらきらと無数の埃が舞い上がった。か
「え…、どうしてさ?」

「ごまかしてもだめ。あなた、さっきから男の匂いを、ぷんぷんさせてるわよ。きれいにしてあげるから。さあ!」

「いいよ。いいよ」

 恥ずかしかった。お漏らしの現場を、同級生に見られたような気がした。

「だアめ!あたしも、胸を見せたんだから。今度は、夏彦君が見せてくれる番よ」

「それは、勝手にそっちが……」
「男の癖に、つべこべいわないの。座りなさいよ!!」

 口調がきつくなっていた。春香は、短気である。怒ると恐いのだ。

俺は、とうとう濡れたパンツのままで立ち上がっていた。気持ちが悪かった。
肉棒から睾丸に、どろりとした生温かい液体が流れていた。

ベッドに座りこんでいた。春香は、学習机の上の、ティッシュ・ペーパー入れの螺鈿細工の箱を持ってきた。
何でも知っているのだ。俺の両脚の間に正座していた。ズボンのチャックを、ちーと下ろされていた。パンツの前を指で開かれていた。

「あらあら、べたべたじゃない。凄い量ね。たくさん、たくさん、出たのね。おりこうさんね」

…まるで、ウンチをたくさんした、赤ちゃんを褒めるような口調になっていた。

くんくん。

鼻を鳴らしていた。

「…芥子の花の匂いがするっていうのは、ほんとうなのね」

彼女も、村の女達の薫陶を受けている。

おふゆばあさんを責任者に、女達だけが集まる庚申様という寄り合いの席があった。月のない夜に、花紅寺の離れで開催されている。男子禁制だった。そこで、先輩の女達から、耳学問をしているのだろう。

春香の指先で、摘まれて小さくなったペニスが、取り出されていた。
ティッシュで精液を拭き取られていた。
彼女は、きれいずきだった。どんな細かな隅まで見逃さない。容赦しなかった。

ごしごし。擦られていた。
刺激を受けて、俺の我が儘息子は、またむくむく。
元気を回復してしまっていた。

俺は、背中を曲げて顔を下げていった。春香の唇に、キスしたかった。邪険に振り払われていた。

「かんちがいしないで! …そんな関係じゃないから!」
「じゃあ、なんで、こんなことまで、してくれるのさ?」
「男性への興味よ! …それに。黒土千秋さんだけに、夏彦を取られるのは、あたし嫌なの!」

「な〜んだ、そ〜か〜」

 俺は、がっかりしていた。

がはははは!

豪快に笑われていた。ペニスが、彼女の指の間で、小さくしょぼんと、縮んでしまったのだ。
男のペニスは、敏感な器官なのだ。感情に左右されてしまう。

「なあに、これ? 敏感なのね! 可愛い〜い!」


彼女は、しばらく俺のペニスと、じっとにらめっこをしていた。にぎにぎしていた。科学者が硬度を測定しているような真剣な目付きだった。
それから。
いきなりだった。

 ぱくり。

 十二歳の少女の口に、含まれていた。

温かい洞窟だった。粘膜が湿っていた。春香の頭部が、俺の股間で、前後に動き出していた。
それは、だんだん速度を増していった。
彼女の髪の毛が、俺の内腿を、さらさらと擦っていた。
ペニスも、たちまちに元気を回復していった。
俺は手を伸ばして、春香の巨乳を揉んでいた。拒まれることはなかった。

どこで、覚えたのだろうか。ちゅう。ちゅう。強い力で、吸引されていた。
十二歳の少女の舌が、肉棒の周囲で回転していた。
ペニスの基底部の睾丸の内部で、熱い物が、爆発していた。やばいと思った。

  春香、やめてくれ!

頼む暇もなかった。

「う…む」

春香がうめいた。俺は、射精してしまったのだ。彼女は、それでも口を離さなかった。

ごくん。ごくん。

 飲み込んでくれていた。

ちゅううう。

 肉棒に残った精液の最後の一滴まで、搾り出されていた。

 やがて。


 口元を片手で拭って立ち上がっていた。
 それから、カルピスのコップに残っていた、氷が溶けた白濁した水を、ごくごくと飲んだ。

「ごちそうさま」

 すっくと立ち上がっていた。

「ウサギ小屋には、来てね。…千秋さんも、待っているから」
 そう言い残して、土蔵の階段を足早に、どすどすと駆け下りていった。
 庭で祖父母にあったらしい。 「おじゃましましたあ〜」  元気な明るい声で挨拶をしていた。

まるで土蔵の部屋で、いつもと違ったことは、何も起こらなかったというような、さっぱりとした声色だった。

女の子というのは、分からない生き物だった。

俺は、快感のあまり、ベッドから長い間、立ち上がることもできない状態だった。
自分の手で扱いていたのでは、絶対に体験できない種類の感触だった。
何十回分の精液を、一度に春香の口に放出したような快感があった。生気を吸い取られたような気がした。


 さくやひめがいけにえをもとめておられる
 ふたつのいのちがいる
 むらのいのちじゃ
 むごいことよのお
 おおさめせねばなるまい
 なるまいのお
 むらのために
 むらのために


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矢作夏彦の日記 8月7日(月) 晴れ 強風

ショックなことがあった。ウサギが、小屋の中で殺されていた。春香が知らせてくれた。お盆の夏祭りまで、あと三日だというのに。

学校に駆けつけていた。黒土さんの顔が正視できない。俺は、彼女の許可を得てから、黒兵衛を抱き上げた。口から赤い血がどろりと流れ出た。千秋さんが、冷たくなった身体に、そっと指の長い手を触れていた。背骨が折れているといった。
普段でも青白い顔が、蒼白になっていた。白い目が、青いほどに透き通っている。
頬の線が固い。春香の方は、とりみだして泣き叫んでいた。

千秋さんは、その大きな温かい胸元に、そっと白ちゃんを抱いてやっていた。彼女も泣きたいのに、我慢しているのだ。大きな黒い瞳が光っている。

ウサギ小屋の鍵は、簡単なものだ。が、きちんと掛けられていた。それを止めていた釘が、木から乱暴に引き抜かれていた。木屑が地面に落ちていた。俺は、柔らかいウサギ小屋の前の地面に、靴底の跡を見つけた。大きな靴だ。大人のものだろう。岩場で滑らないように、深い模様が刻まれているタイプだった。
誰のものだろうか? あのバイクの男達だろうか? 
まだ捕まっていない。駐在所のおまわりさんも、必死で捜査を続けているのだが、村の道路の途中で、タイヤの痕跡なども消えうせてしまっているのだという。

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矢作夏彦の日記 8月8日(火) 暑い日 風なし

校庭の隅に、黒兵衛と白ちゃんの墓を作った。三人で葬式をした。
お寺の住職でもある教頭先生が、偶然に当番で学校に来ている日だった。本物のお経を唱えてくれた。
しかし、それで、彼女たちの悲しみと怒りが、納まるはずもなかった。

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矢作夏彦の日記 8月10日(木) 熱帯夜

思わぬ証言があった。

事件のあった前日の夕方に、学校の前に無断駐車していた赤いスポーツカーを、テニスの練習をしていた、五年生の女子生徒が見かけたというのだ。練習に熱中していて、予定よりも帰宅が遅くなったのだという。

もう、あたりは薄暗かった。柳村は、乳部山脈の麓にあった。日が暮れるのは早い。風光明媚な土地柄で、田川では魚も釣れる。外部から来る釣客も多かった。

柳小学校分教場は、盆地の柳村の風景を見下ろせる高台の上にある。乳部山脈を越える、旧街道の途中でもある。柳村の下には、蛙村がある。この上には、佐来村(さらいむら)があるだけだった。

ある釣り雑誌の読者投稿欄の記事に、虹鮎の隠れた穴場として、紹介されてしまった。
虹鮎は水の中にいても、背中が虹のような七色に光る。美しい川魚で、人気があった。
それ以来、狭い分教場の前の道に自動車を止めて、下の「ししく岩」まで釣に行く無礼な太公望達が、たまにいるのだった。

「ししく」というのは、ライオンが吠えるという意味の言葉らしい。その大きく開いた口から、水が流れ出ている。
田川という名前の流れになっていた。先生から聞いた話では、昔は恐い顔をしていたらしいが、今では歳月に摩滅して、でこぼこの岩の塊に過ぎなかった。

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矢作夏彦の日記 8月11日(金)

五年生の彼女が、なんと車のナンバーを覚えていた。「999」という印象的な番号だったからだ。
五年生の男子二人も、犯人探しに協力してくれた。ウサギの世話は敬遠していた奴等が、この捜査には乗ってくれていた。
どうして急に協力的になったのか不思議だった。

後になって、千秋が袖の下をかましたことが分かった。村では、大人も子供も現金に弱かった。彼女に、すでにこの時に、千秋の手の中にいちばん柔らかい弱い部分を、掴られてしまっていたのだ。

俺は、素朴に興奮していたので、事態の本質を掴むことができなかった。

推理小説の大ファンだったのだ。学校の図書室の、江戸川乱歩と、シャーロック・ホームズと、怪盗ルパンは、全部、読んでいた。分教場の分は、全部、読破した。
先生に頼んで、本校から借り出してもらっていた。犯人探しだけに、熱狂していた。

真犯人を取り逃がしてしまっていた。

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矢作夏彦の日記 8月12日(土)

村に五件以上ある、民宿の釣り客用の旅館を、手分けして見て回ってくれていた。

夏祭りの準備で、みんな忙しいはずなのに、千秋の秘密の薬が効いていた。
宿屋は、すべて村長の親類一族が経営していた。春香の家も、そのうちの一軒なのである。

村はずれの商人宿の駐車場に、該当する赤いスポーツカーを、五年生が発見した。
都会から釣りに来ている大学生らしいという。盆の休暇が終わるまでは、村に滞在している。
…そんなことまで、聞き出してくれていた。面白くなりそうだった。

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矢作夏彦の日記 9月1日(金)

新学期が始まった。

あの日から、千秋の姿を見ることもなかった。そのうちに黒土千秋は、転校してしまった。
別れの言葉もなかった。

先生によれば、お母さんの仕事の都合だという話だった。
彼女は、いったい誰だったのだろうか。春香に、そう宣言していたというように、本物の魔女だったのだろうか?

できるかぎり、正確に記憶を思い出して、書いていこうと思う。

 春香から聴いた話も、混じっている。



あの日は、柳山の上流の岩場で、釣りをしていた六名を捕まえた。

五年生の男子のもう一人が、釣りが趣味だった。彼に、上墾田(じょうこんでん)に良い釣り場があるという情報を流させた。
これは、下墾田(しもこんでん)という江戸時代に開墾された場所の、さらに上にあるので、その名前がついているという場所だった。単純なネーミングだった。そこに、誘い込んだのだった。

油断させるために、春香と千秋と俺の三人で、滝壷の瀬で泳いでいた。
水は、限りなく透明だった。底の玉砂利のひとつひとつまでが見分けがついた。
白い石が、宝石のように光を反射していた。水が冷たいので、藻がわかない。だから、きれいなのだ。

このぐらいの水の冷たさがないと、虹鮎は住めないのだった。夜行性である。昼間は、岩陰に隠れている。
それを、棒や足のつま先で追い出す。棒の先端を尖らせた簗でつくか、下流に仕掛けた網に追い込んでいく。
…昔からの柳村の虹鮎漁のやり方だった。

女の子たちの美しい顔の下で、水の屈折で歪んだ青い水着の身体が、小人のように見えていた。
乳房だけがグロテスクに大きく膨らんで見えた。

岩の上に上がった千秋の、紺色のスクール水着姿は、素晴らしかった。出るところが出て、引っ込むべきところがひっこんでいる。
ウエストが、くびれているので、チェロのような美しい体型だった。
サイドの白いラインが、彼女の肉体美を強調していた。
子供向きではサイズが合う物がない。特注品だと言っていた。

大学生達が、水から上がる千秋さんを見て、意味深長な口笛を吹いていた。胸の谷間が、くっきりと見えていた。

「君、ほんとうに小学生なの?」

そう質問されていた。無理もない。大人のモデルのようだった。
大きなお尻の谷間に食い込んだ、水着の肌色の裏地の布を、指先で掻き出すようにして、戻しているところを見てしまった。
海水パンツの中で、あそこが勝手に変化してしまうので困った。


六人の大学生の男たちを、青い滝壷を見下ろす崖の上の焚き火に案内した。
そこで、俺が焼いた虹鮎を食べさせていた。塩で揉んでから、櫛に刺す。焚き火の脇の地面に刺しておく。熱で焼いていく。美味いのだ。
男達は、都会の大学から来たというだけあって、知的な顔立ちをしていた。
釣りの名所を紹介したのに、釣竿も持っていなかった。磁石と村の二万五千分の一の地図を持って、議論に花を咲かせていた。

「ダ・ヴィンチというのは、もともと柳村のという意味だ」
「レオナルドのレオは、獅子だからねえ」
「獅子岩もあったぜ」
「『モナリザの微笑』にこめられたコード(謎)を、俺達は、解いたのではないかね?」
「あれが、『ジョコンダ夫人』から、名前が変更されていった理由が、上墾田という名前を隠すためだとしたら……」

よく分からないことばかりだった。しかし、注目すべき意見もあった。

「これだけの過去の遺産を秘めた村だ。黒土だって手を出せないでしょう!?」
「しーっつ!」

仲間が、口元に人差し指を一本立てていた。千秋は、気がつかないように、魚の焼き加減を見ていた。

男たちは、上機嫌で車に積んでいた缶ビールを持ってきた。何回も乾杯をしていた。
俺達も、一口ずつ苦い液体を飲まされていた。油断させるためだから、仕方がなかった。
千秋だけは、いける口だったようだ。一気に缶ビールを傾けていた。
唇の端から毀れた雫が、白く長い首を流れ下っていた。長い旅をしていた。あたたかそうな胸の谷間に、吸い込まれるように落ちていった。

千秋が空になった缶を、得意そうに頭上に、持ち上げて振っていた。拍手喝采を受けていた。これが、彼らが地獄を見る始まりだとは、知るはずもなかった。

男たちは、会話にも花を咲かせていた。美味い魚と、ビールで、すっかり気持ちが緩んだのだろう。
この村は、食べ物が美味いという話になった。
俺達の空気が凍りついたのは、一人が「虹鮎も美味いが、ウサギ鍋も美味かった」と言ったときだ。

もしかすると、黒兵衛と白ちゃんも、喰おうと思ったのではないだろうか?


そこで千秋が、とうとう我慢できずに、不思議な魔法の薬を使ったのだった。

手に持っていたスプレーのようなものから、蛇のような臭いのする液体を噴射していた。
男たちの身体が、人形のような大きさに縮んでいった。
俺も巻き込まれていた。千秋と春香には、まったく変化がなかった。
二人の水着の少女の姿が、みるみる巨大になっていく。頭上に聳えていた。

「計算通りね」

千秋は、手首の防水時計で経過時間を計っていたようだ。
小人になった男たちを、水着の紺色の胸の膨らみの向こうから、見下ろしていた。
赤い口を大きく開いて、にんまりと笑っていた。

「夏彦君、ごめんね。この薬は、男性は、子供でも大人でも小さくしちゃうのよ」

 ぐわ!!

 その場所で、長い脚の膝を折って、しゃがみこんでいた。青い山が倒れこんでくるような迫力だった。
 俺達のことを、もっと近くで観察したいのだろう。スクール水着の少女の青い肉の山に、前後を挟まれていた。
 空気が、そこからの反射で青く染まっていた。みんなの顔も青くなっていた。

「貴様、何をした」

一人の相撲取りのような体格の男が、ようやく我に帰った。俺に迫ってきた。殴りかかるような、凄まじい表情をしていた。
白い壁が、どすんと立ち塞がった。俺は、風圧で尻餅をついていた。

「だあめ!」

 …それは、千秋の手だったのだ。

「矢作君には、手を出させないわよ」
 それから、俺は彼女の手に胴体を鷲掴みにされていた。
 ゆっくりとゆっくりと上空に持ち上げられていた。
 彼女は、小人にした男性の取り扱い方に、熟練しているような気がした。
 力の加減が、微妙に調節されていた。苦しくなかった。

「矢作君は、ここに入っていてちょうだい」

 いけにえじゃ
 さらにむっつのいのちがいる
 おささげすることにいたそう
 いたそうのう




5.乳房の谷間で


そうして、俺は、彼女のスクール水着の、夢にまで見た乳房の谷間に入れられていた。

柔らかかった。

水と汗で濡れている。俺の身体が滑っていた。
視界が開けていた。千秋の白い顎が頭上にあった。春香の胸も、俺の視線と同じ高さにあった。

少女達は、岩場を、ちょこちょこと逃げていく男たちを、のんびりと捕まえていた。
谷川の岩場は、小人にされた男たちには、女の子達には小さな石一個が、大きな岩一個分の体積があった。
それが、ごろごろ転がっているのだ。
岩陰に隠れているつもりでも、上空の彼女たちの視点からは、すべてが一望に、お見通しの状態だった。
とても、逃げられなかった。時間をかけたのは、遊んでいるのだった。

嵐の海の大船のように移動する、千秋の乳房の谷間で揺られていた。

左右の乳肉の圧迫を跳ね返すために、手足をつっぱっていなければならない。そうでないと、片方だけでも、自分の何倍もの重量のある女の肉の山に押し潰されそうな状況だった。船酔いのような気分になっていた。
それに、蒸し暑いのだ。彼女の体温で、蒸し風呂に入っているような気分だった。
俺は、ふらふらになっていた。少し吐いた。食べたばかりの虹鮎だった。
気分が楽になっていた。彼女には悪いことをしたが、サーカスのテントのような面積のある青いスクール水着の生地の上では、染みにもならないぐらいの分量だった。

しかし、気を失っていたようだ。目を覚ました時には、冷たい岩の上に寝かされていた。
彼女たちは、水着を脱いでいた。普通の衣服に着替えていた。
俺が目を覚ましていることには、気がついていないようだった。
春香が、大きな尻を俺の頭上で動かしながら、白いパンティを履いていた。お尻の大きな猫のイラストが笑っていた。

「矢作君まで、小さくなるなんて、言ってくれてなかったじゃない?」

千秋は、さっきまで俺を入れていた胸に、ブラジャーを当てていた。
水色で青い糸の刺繍のある豪華なものだった。

「ごめんなさい。彼まで、巻き込むつもりはなかったのよ。風向きの加減で、お薬を吸い込んじゃったのね」
「…滝壷では、風が巻くからね」

 春香の声には、不信感がこめられていた。

「元に戻るわよね?」
「時間がくれば、だいじょうぶよ。知ってるでしょ?」
…春香も、納得しているようだった。

彼女は、千秋と何をしていたのだ。魔法薬を俺が知ったのは、その日が始めてのことだったが、春香には衆知の事実らしい。
彼女は、白いブラジャーをつけていた。千秋ほどではなくても、十二歳の女子としては胸がある方だった。その上に、体操服の白いシャツを着ていた。

「あなたの王子様が、目を覚ましたのじゃないかしら?」
「きゃあ!!」
春香が、俺の方を振り向いて悲鳴を上げていた。鼓膜を劈くような音量だった。耳が痛かった。
俺は、両手で耳を押させてうつぶせていた。

「ああ、ごめんなさい。あなたたちには、きついのよね。忘れていたわ」

あなたたちとは、誰のことだろうか?
脳震盪を起こしたように、ぼんやりとした頭で、考えようとしていた。

いつのまに、春香の手のひらに乗っていた。彼女には、小声で、しかし、俺には運動会のマイクから響くような大きな声で、謝ってくれていた。
彼女の息が顔にかかった。生臭かった。虹鮎の臭いだった。俺を持ち上げていた。ウサギの世話で熟練しているからだろうか? 優しい動作だった。

二人の少女は、なんとスカートの下のパンティの中に、三人ずつ、男たちを入れていた。
もぞもぞと動く。くすぐったくて、絶えず笑い声を上げていた。
他に人目につかない、適当な場所がなかったのだ。

Ahodasのスポーツ・バッグの中は、濡れた水着が入っている。押し潰してしまう危険性があった。

通りで、多数の村人達にすれ違っていた。俺は、春香の体操服の、胸ポケットに入れられていた。
本当は、千秋の胸の方が良かったが、そんなことを言える立場ではなかった。
身を隠していた。彼女の胸の弾力を感じていた。秘密が、ばれないだろうか。背筋が、ぞくぞくした。

春香も興奮していたようだ。

体温が高くて、心臓が、どきんどきんと激しく鼓動しているのが、厚いブラジャーの生地越しにでも、はっきりと伝わってきた。
肌も、しっとりと汗ばんでいる。自分の指で、触れていては味わえない、未知の快感だった。
春香は、それが女としての喜びの萌芽であることも、ぼんやりとだが、気が付いていたらしい。
後で、俺の指で、あそこを愛撫されながら、そう言っていた。自分が、いちばん感じる場所に、指で移動させていたという。

二人とも、まだ薄かったけれども、発毛はあった。さっき、着替えの時に確認していた。
千秋は二年前に、春香は昨年に初潮を迎えていたらしい。
二人とも、もう少女ではなくて、女の体だったのだ。
陰毛を、命綱のように、ひっぱられていた。そのたびに、痛みまでは行かないが、毛根と皮膚に微妙な刺激があったという。
春香はパンティの中が、生理でもオリモノでもないのに、濡れるのが分かった。

しかし、箸が落ちても可笑しい年頃である。村人の中で、その様子を不審に思うものは、一人もいなかった。
まして、今夜は、楽しい祭りの晩だった。みんな自分のことで、精一杯だった。

小学校の教頭先生が、住職をしている花紅寺の境内で村祭りが実施される。年に一度の、大イヴェントだった。

夜のウサギ小屋に、連れて来られていた。

遠くから、祭囃子の音色が聞こえていた。太鼓と笛の音色が村の空気に流れた。
この二種類の音だけは、遠くまで届くのだ。乳部山脈に反響した。夏祭りである。
三浪春夫の『帝都五輪音頭』がかかっていた。分教場の校庭から、降るような星空を仰ぐことができた。

黒兵衛と白ちゃんの復讐をする時が来た。

ウサギ小屋の中は、二人の少女の身体でいっぱいになってしまう。

「あなたは、ここにいてちょうだい」

千秋の白い長い指で、普段は、荷物を置いておく、木の棚の上に載せられていた。
少女達の顔の高さなのに、俺には、下界までは、目のくらむような高さに感じられていた。
すべてを観覧できる特等席だった。…そこから、地獄の釜の蓋が開く光景を見たのだった。

脚元の小人たちには、さぞかし巨人に見えたことだろう。春香の白いソックスのへりにも、顔が届かなかったのだ。

黒土千秋は、普段は上品な美少女の仮面を、かなぐり捨てていた。
顔立ちが整っているので、怒りの表情には鬼のような迫力があった。

長い膝の上に、男を乗せていた。無造作にズボンを脱がせていた。毛の生えた尻を、平手で殴っていた。

「これは、ピョン吉のため!」

バシン!

男が悲鳴を上げていた。少女のグローブのような手のひらで、折檻されているのだ。たちまち真っ赤になっていた。

「これは、白ちゃんのため!」

バシン!

指の痕が、きれいに刻印されていた。

面白かった。春香も真似をしていた。

…少女達の膝の上から、ようやくに床に降ろされた時には、六人とも、自力では歩けない状態になっていた。

 その様子がおかしいと、二人の少女は笑いを爆発させていた。

声の音量だけで、衝撃を与えていたようだ。小人たちは耳を両手で塞いでいた。藁の中に隠れようとしていた。
俺も棚の上に、うつぶせになっていた。

そいつらは、ウサギ小屋の藁の上に寝かせておいて、千秋は、新しく元気な若者を取り上げた。

「白状しなさい! そうすれば、許して上げるわ。あなたも、二人と同じ目に、あいたいのかしら?
 それが嫌なら、白状しなさい。見逃してあげてもいいわ。あたしは、本気なのよ。
…黒兵衛と、白ちゃんを殺したのは誰? 黒兵衛は、誰かに腹を蹴られたのよ。内臓破裂で死んでいたわ」

 さすがに、医師の娘だった。死因を正確に理解していた。

若者が、年長の一人を指差した。髭面の男としては、相撲取りのような固太りの巨漢だった。ロンドン・ブーツを履いていた。
千秋は、その胴体を鷲掴みにしていた。

「そう、あなたなのね?」

男の太鼓腹にも、彼女の遠目には細くて繊細なピアノでも弾くのが似合いそうな指が回っていた。

「それじゃ、白ちゃんの背中を踏み潰して、背骨を折ったのはだれ?」

若者は、床の男を指差した。

「わかったわ。あなたは、処刑が住むまで、ここにいてちょうだい。大人の男の人が、考えていることなんて、御見通しよ。
女の、あそこの穴に突っ込みたいと、思っているんでしょ。それだけなのよね。つまんないわ。でも、いいわよ。特別に入れてあげる!」

 千秋は、スカートの前を持ち上げて、白いパンティを白い大木のような太腿の中間まで下ろしていた。
 
…春香も、気が動顛していたという。事態は、彼女にも予想もできなかった急展開を示すことになるのだ。

そして、もう黒い毛が生えている、あそこの割れ目に、頭から突っ込んでいた。
遠慮しなかった。割れ目から、男性の脚が出ている。苦しげに、ばたばたと動いていた。
奇妙なのに、ひどくおかしかった。春香は狂ったように笑っていた。お腹が苦しかったという。

「も…もう、やめろ!」

 そう言ったが、やめてもらうつもりはなかった。今夜は、祭りの夜だ。無礼講だ。
 この日ばかりは、子どもでも、何をしても、大人に怒られることはない。それが、村の掟だった。

「男の人は、女の口にも、あれを入れたいのよね。あたし、パパに、そうされたわ、舐めないと、首をしめるって、脅かされたの。
 汚い液体を、口の中に出された。とっても、臭かった。口の中が、ネバネバして。吐きそうだった。歯を立てたら、目を潰すって、言われたの」

 千秋は、不思議なことを言っていた。その時には、俺にも意味がわからなかった。

「でも、今回は、歯を立てても、いいわよね。あなたは、生きたまま、食べてあげる。簡単には、殺さないわよ。生きたままで、飲み込んであげるの。
 あたしの、胃液でじわじわと溶かしてあげる。あなた、女の子に食べられるのよ。
 嫌でしょ? 苦しいでしょ? …牛や豚や鶏といっしょ。あなたは、人間以下の存在なのよ。
 いいえ、家畜以下!! 家畜は、可愛いウサギを殺さないもの」

その通りだと思った。春香も、うなずいていた。
俺達の常識は、ウサギのことになると、どこか遠くに飛んでしまっていた。

「あなたたちは、ウサギさんたちを。食べるつもりだと言ったわよね?」

そんなこと言ってただろうか? 覚えていない。

「それなら、食べてあげる。学校の家庭科室を使うわ。あなたたちを料理する。
 メニューは、やっぱり鍋かしら? ぐつぐつと真鋳の大鍋で、煮てあげる。最初から熱湯になんか入れないわ。水から、ゆっくりと煮てあげる。
 村の野菜と一緒にね。大根。ニンジン。キャベツ。葱。ごぼう。なんでも、おいしいのよ。石川五右衛門の釜茹での刑みたいで、面白いでしょ?
 味付けは、何がいいかしら? …味噌。醤油。それとも塩味? 人間て、どんな味がするんだろう? 涎が出てきちゃった。
 …何よ。そんなに、泣かないの! 冗談よ。冗談。そんなことするはずがないでしょ?!」

 おわった
 おわったのう
 ねむることにいたそう
 つかれた
 つかれたのう
 ばばのいのちもひめさまにささげるといたそう
 いたそうのう
 またむらにうまれかわるために
 うまれかわるために





6.お食事の時間


 …なんだ、やっぱり。冗談か。面白くない。

春香が、そう思った瞬間だった。千秋が、口元に小人を運んでいった。

「もちろん、生のままで頂くのよ。こうしてね!」

 そして。

       ごくり。

飲み込んだのだ。

「やめろ!」と叫ぶ暇もなかった。
村祭りで、おでんを頂くように。同じことだった。

小人が、千秋の白い喉を下っていくのが、見えるような気がした。丸のままで、飲み込んだのだった。
千秋は、白い体操服のお腹を撫でていた。何かが、その内部で動いているような気がした。
以下 「どう、あたしのおなかの中は? 暗いかしら? どんな匂いがするのかしら? 
 今日は、ママの作ったカレーライスだったから。カレーの匂いがするかしら?
 まだ、ニンジンやジャガイモが、消化されないで、残っているかしら?」

静かなウサギ小屋の中でも、小人の声は聞こえなかった。しかし、千秋の耳には届いているようだった。

「だあめ。いくら命乞いをしても助けてあげない。もし、出して欲しかったら、豚さんのようにブーブーって、ないてごらんなさいな」

春香は、千秋のお腹に耳を当てていた。赤ちゃんの心音を聞こうとするように。二人して耳を澄ませていた。

だめだと思えた。人間の胃の内部のような過酷な環境で、生きていられるはずがない。いや、俺にも聴こえた。
ウサギ小屋の内部は、静かだった。かすかだが。かすかにだが。
ぶーぶー。
こもっていたが。千秋のお腹の中から、声がしていた。

「そうそう、おかしいわ。今度は、牛さんのようにモーモーって」

千秋につられて、春香も噴き出していた。人間のお腹の中から、人間の声がするなんて!

「そうそう、面白いわ。じゃあ、今度は、鶏さんよ。コケコッコーっていうのよ。あたし、面白い人、好きよ。
 専属の道化師として、マンションのペットさんと同じように、飼ってあげてもいいのかもね」

 え? …どういうことだろう? 
 
でも、千秋は、春香にも、立ち止まって考える時間を与えてやらなかった。彼女は、幼い少女のように笑いこけていた。
箸が落ちても、可笑しな年頃だった。身体だけは大きくなっても、精神は、ほとんど成長していないのだった。

「嘘よ、嘘。助けてなんてあげないわ。あなたは、ウサギさんを殺したのですもの。
 黒兵衛と白ちゃんよりも、苦しい思いを、味わわせてあげなくちゃ! …気がすまない。」

同感だった。これは、復讐のときなのだ。ウサギたちの顔が、頭に浮かんだ。
手加減する必要は、何もない。
俺達は、生まれて始めてのビールで酔っていたのだ。寛大な気分になっていた。


「あなたは、あたしのおなかの中で、ぐちゃぐちゃに溶かされて死んでいくのよ。
 熱いでしょ? 痛いでしょ? そろそろ、消化液が、出てきたみたいね。
 …大丈夫よ。そんなに悲鳴を上げなくても。明日になれば、出して上げるわ。お尻からね。
 学校の女子便所で、用をすませるわ。水洗じゃないのよ。汲み取り式なの。おかしいでしょ?」

二人の巨大な少女達は、爆笑していた。

「あなたの墓は、ぼうふらの浮いた、田舎の学校の便所の中なのよ。
 竜宮城のように、昼も夜も、あなたのために、楽しい舞踊りをしてくれるわ。
 天使のように、空中を舞い踊る銀蝿もいるわ。寂しくないでしょ?」


春香も、千秋にばかり、復讐を任してはいられなくなったようだ。自分の分を取った。

「あなたは、あたしのお尻で、潰してあげる。上に座って上げるわ。肉の座布団になってね」

…信じられなかった。紺色のブルマの大きな尻で、本当に座ったのだ。

ずしん。 俺を乗せた棚まで振動が伝わってきた。

跳ね飛ばされそうになっていた。板に空いていた節穴に手を入れて、夢中でしがみついていた。
巨大な乳房を両手で揉んでいた。唇の端からよだれを垂らしていた。

「くすぐったいわ。ああ、ああん。骨が、ぽきぽきとなる音がする。いい音だわ。軽くて。気持ちがいい。感じちゃう。もっと…鳴らしたいわ」

 それから、それから…どうしただろうか?

千秋と春香の二人は、無人の小学校の校庭に出たのだ。お盆の太鼓と笛が、二人の気持ちを高揚させていた。

叫んでいた。唄っていた。

 校庭を逃げなさい!!
 追いかけてあげる!
 捕まえてあげる!

 何処までも逃げなさい! 追いついたら踏み潰すわよ。あなたたちが、ウサギさんたちにしたのと同じようにね。

 違うわ。ウサギは、ピョンピョン跳ねるものなのよ。両足で飛び跳ねなさい。

 もっと高く!
 足りないわ!
 もっと高く!
 黒兵衛たちは、もっと高く飛んだわよ。

校庭を踊りながら、追いかけていった。
 
春香はお腹が重かった。消化する必要があったのだ。子供の頃から習い覚えた盆踊りを手の振り、脚の振りもたしかに、踊っていた。
 
小人は、脚も短い。本人は、全力疾走のつもりかもしれない。しかし。よちよちとした、亀のように、のろい動きだった。
じれったかった。踊る少女達にも、簡単に追いつかれていた。


満月が照っていたような気がする。


 あなたたちを、ウサギの代わりに、小屋で飼ってもいいかしら? そうすれば、命だけは助かるわよ。

           それから。

一度は、またウサギ小屋の中に戻ってきたのだ。

 ほら食べなさい。ウサギさんたちは、この草が大好きだったわ。
 遠慮しなくていいわよ。いくらでも、あるから。

 もぐもぐ。口を動かすのよ。

 駄目じゃない。吐き出したりしたら。

春香が、小人の口に草の茎を詰め込んでいた。

 大人しく抱っこされていなさい。ウサギさんたちは、こうされるのが大好きだったの。
 さあ、おっぱいをあげるわ。

春香は、自分の育ちすぎた左側の乳房に、小人の背中を押し付けていた。
心臓が、激しく鼓動しているのが分かる。小人の手足を、左右の指先で摘んで広げていた。悲鳴を上げていた。
乳房に大量の血液が流れ込んでいた。先端部の乳首にまで満ちていた。勃起していた。硬くなっていた。
それが、小人の背中を背後から、ぐいっと押し出していた。苦悶の叫びが、上がっていた。

すでに限界にまで曲げられていた小人の背骨を、二つにへし折った。

俺にも、残酷だとは思えなかった。黒兵衛と白ちゃんというウサギ達の正当な復讐だった。当然の報いだった。

目には目を。骨には骨を。


しかし、俺を戦慄させたのは、千秋の次の宣言だった。

「この村では、私が女王なの。私が法律なの。私は何をしてもいいのよ。
 なぜって、柳村は、私のものなの。私が、この村を買ったんですもの!!」

女神のような大音声だった。落雷のように、俺を圧倒していた。意識が吹き飛んでいた。

…それから、それから、どうなったのだろうか?

           …思い出せない…。


 くさのうえのつゆ
 みずかがみ
 むら
 うつくしいのお
 なかつくに
 うつくしいのお
 とこよのくに
 うつくしいのお
 つゆがこぼれた
 うつくしいのお





7.箱庭楽園より

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矢作夏彦の日記 9月15日(金) 雨のち曇り

俺の家にも、春香の家にも、一度、駐在さんが来た。質問をされた。
村祭りの夜に、どこにいたのか?  そんな問いだった。
春香が、黒土千秋に(こう言え)と教わったという通りに答えておいた。
「黒土さんの家で、お母さんとパーティをしていました。」

根掘り葉掘りという感じではなかった。形式的な事情聴取だった。
おそらく、千秋の父親が、村長にでも圧力を掛けたのだろう。
今年の夏には、柳村にやってくる釣り客が、原因不明の失踪事件を起こしていることも、そこで始めて知った。
都会から来た六人の大学生が、行方不明になったからといって、柳村にとって、何か損失があるだろうか? 事件は、闇から闇に揉み消されたのだ。

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矢作夏彦の日記 9月18日(月) 台風前夜

俺と春香は、黒土千秋の喪失の痛みから受けた傷を舐めあうように、急速に接近していった。

春香は、俺が校舎の裏山でキスを求めても、拒まなかった。
…どたばたしている内に、春香はいつのまにか、俺を見下ろすような大女になっていた。
縦は、千秋ぐらい。横幅は、もっとあるだろう。
俺の口が彼女の唇に上下から挟まれていた。喰われるような感触があった。大人のような体の重みを、抱いていて肩に感じていた。

滝壷の瀬に誘った。彼女は、拒まなかった。二人で二匹の魚のように、じゃれあって泳いだ。
スクール水着の胸に手で触れた時には、びくりと身体を震わせた。だが、俺の手に、手を重ねていた。
さらに強く押さえるようにしてくれた。乳首が、勃起しているのが分かった。

風雨が、激しくなっていた。台風模様だったのだ。しかし村の子供にはなんでもなかった。
滝の水が、空中に無数の水晶のように、ばらばらと舞っていた。風が巻いているのだ。
水着の上から、豊かな乳房を揉んでいた。脱がせるのも、もどかしかった。舌で桃色の乳首を回転させていた。

春香の手足は健康的な小麦色に日焼けしているのに、水着の下になる部分は真っ白だった。
そこに、大人のような陰毛を茂らせていた。黒い逆三角形が、鮮明な対照を見せていた。
内部に指を入れていた。すでに、充分に潤っていた。

赤い裂け目を貫いていた。どこで覚えたのか。春香は、自分から腰の回転を始めていた。


 柳村は、千秋の父の『黒土開発』によって買われたのだった。
 村議会での投票は、祖父以外は、ほぼ全員一致で、賛成の状況だったという。
 『黒土開発』と胴体に描いた重機が、村の山を切り崩し始めていた。

 …しかし、「一大レジャーランド」が建設されることはついになかった。




俺は、結局、村から出ることはなかった。いや、出られなくなったのだ。

プロイセン帝国にいるはずの父の安否も分からない。長い長い時が流れた。
『黒土開発』が、大日本女王帝国の貴族達に、賄賂を贈って、巨大な利権を得たという話は、今は亡き祖父から、直接に耳にしたことがある。


俺は、村を取り囲む山の急傾斜の道を、黒いBMVで登山していた。四輪駆動車でも、一時間はかかる。
峠に立っていた。息が切れていた。昔は、こうではなかった。腰を伸ばしていた。
この場所は、山の斜面を吹き上げてくる風が強かった。森が、轟々と泣いていた。
ここに来て、この風景を眺めようとする村人は、めったにいない。

柳村は、昔のままの美しい風景を保っていた。何も変わっていない。かわらなさ過ぎるぐらいだ。

村の反対の方向を振り向くと、すぐそこに透明な硬質ガラスの壁があった。峠越えの道路と一緒に、乳部山脈自体が断ち切られていた。
この外には、誰も出られないのだ。何度も、穴を開けようとしたので分かっている。ダイアモンド並みの硬度だった。ドリルも刃が立たない。
脱出の方法はなかった。

しかし、ここにだけ、いつ置かれるのか、たとえば、薬品やガソリンの入ったドラム缶のような、貴重品がおいてあった。そのために、俺は、時々、足を向ける習慣がついていた。

さらに外側には、巨大な部屋が見える。時々、村よりも大きな千秋の顔が、俺を見下ろしている。
ぼんやりと霞んで見える。あまりにも、大きすぎるのだ。あまりにも、遠すぎるのだ。

昼の空に輝く肌色の月のようだ。俺の微小な老眼の出始めた眼球では、焦点を結ぶことができない。
それでも、あの仮面のように美しい微笑を浮かべていることが、なんとなくわかる。

彼女の背後には、無数のガラス・ケースが見える。そこに、何が入っているのかは、永久に分からないだろう。

俺達は、村ごと千秋に買われてしまったのだ。コレクションの一部になっているのだろう。

春香は、俺との生活に満足している。

下の娘に子供が生まれた。十人目の孫だ。玉のような女の子だ。小さな口で何かを無心につぶやいている。
俺達は典型的な蚤の夫婦だった。妻の春香は自分よりも、優に頭一つ分は大きい。村一番の大女だった。
…仕事でも、セックスでも、頭が上がらない。

五十歳で胆石をやってから、めっきり弱くなった俺とは対照的に、妻は女としての盛りを迎えていた。
村の若い世代に、筆卸の奉仕活動を積極的にしてやっている。若者は、彼女の巨大な肉体を通過して、大人になっていった。
文字通りに、彼女の巨尻の下に敷かれている状態だった。

老人達は、順番に寿命がきて、土に返っていった。孫娘のように、この世界で新たに生まれてくる命もあるのだ。

時折、いらだつ俺を、彼女がいさめる。

「何の不足があるの? 代々、柳村の女達は、村から一歩も出ることなく、生きてきたのよ。
 帝都を見た人なんて、ひとりもいなかったわ。あたしの、おばあちゃんもそうだったわ。
 そのまえの、ひいおばあちゃんもね。あたしも、山を越えたことは、一度もないわ。
…それでも、村の自然は、変わらずに美しいし、水もきれいだわ」

そう。どうやっているのか、わからない。しかし、柳村には、天候も、四季の変化もある。
村の自然は、開発によって破壊されることなく、完全に保存されている。
全山が紅葉した村の錦秋の風景に、感動した千秋の声を、遠雷のように耳にしていた。

雲が空に浮かんで流れていく。風の音がした。

俺は校庭で、日記を枯れ葉とともに燃やしていた。

一通り読み返してみた。何度も、書き込みがしてあって、読みにくくなっている。
若い日には、この事件の意味を自分なりに解明しようとしていたのだ。その過程が、克明に残されていた。

しかし、もういいのだ。

俺も、現実を受け入れていた。体力の限界が、気力の限界だった。
五十歳を過ぎてから、めっきり弱っていた。この世界での平均寿命は、五十歳程度になっていた。
医療が充分ではないのだ。病気の治療といっても、昔ながらの薬草を煎じて呑むのが、せいぜいだった。

妻の一族も、旅館の経営はやめた。外部からやってくる旅人が、いるはずもない。農業に戻って、地道に段々畑を耕している。

あのエネルギッシュだった鈴木村長は、時代の転換に付いていけなかった。脳溢血で亡くなった。
おふゆばあさんも、街道で行き倒れになっているのを発見された。身体が、すっかり小さく縮んでいた。
使い古しの雑巾のようだという消防団員もいた。

しかし、俺は、すべての生命力を、花を咲かせるために使い果たして倒れた、枯れた木のようだと思った。美しかった。

二人とも花紅寺の墓地に埋葬された。

花紅寺の境内での夏祭りは、今でもコノハナサクヤ姫様に捧げられている。それなりに、賑やかに実施されている。
もう黒土千秋の姿を、実際に見て覚えている世代も数少なくなった。

黒土千秋は村が縮小されてから、一度だけ突然に村を再訪したことがあるのだ。数年後の春のことだ。
山肌が切り崩された工事現場に、歩ける村人全員を集めていた。
足元のブルドーザーやショベルカーという重機が、玩具のように見える巨人になっていた。

そのときは、私立中学校の制服姿だった。中学生になっていたのだろう。

赤のチェックのミニ・スカート。白いブラウスに赤い紐タイ。ベージュのブレザーを羽織っていた。
紺色のソックスの縁にまで、頭が届く村人は一人もいなかった。
黒い革のローファーは、一撃で重機を踏み潰せるような大きさがあった。
蹴飛ばされれば、数十トンの機械が、宙を舞うだろう。
村人の頭上に、スカートと揃いの赤いパンティのチェック柄を見せびらかすようにして、聳え立っていた。
尻の谷間に生地が食い込んでいる。
千秋は、恥骨がもっこりと高い。陰唇が厚い。そんな性器の形までが克明に分かった。

柳村の土地のすべてが、彼女の私有財産として買われたことを宣言していた。
もちろん、村人も抵抗しようとした。騙されたのである。
「一大レジャーランド」の実行計画など図面だけで、存在してもいなかったのだ。

まだ元気だった鈴木村長を先頭に、村の消防団員は、手に手に業物を持って集合していた。
襲い掛かっていった。いくら、千秋が巨人でも、これだけの人数がいれば、倒せると思っていたようだ。
足の腱を切れば、立ち上がれなくなる。

俺には、無謀な攻撃に思えた。巨人の力は、身に染みて知っていた。
全滅するのではないかと思った。喰われる者も出るかもしれない。


黒土千秋は、村人にくるりと背中を見せていた。みるみる巨大化していった。
一歩で、村境の乳部山脈を跨ぎ越していた。
次には、山よりも大きな彼女の笑顔が、村人を見下ろしていた。
手を振って、最後に投げキッスをした。強風が襲来した。吹き飛ばされる村人が続出した。
圧倒的な力の差の誇示に、無条件降伏を余儀なくされていた。

その晩から、鈴木村長は寝込んでしまった。まもなく亡くなったのだった。

このときの彼女の足跡は、地下水が染み出して、今では葦の繁る沼になっている。船を浮かべて、釣りを楽しんでいる太公望もいる。

柳村小学校のウサギ小屋では、黒と白のウサギが、無心に草を頬張っていた。
田川の水は、つねに新しく絶えることなく流れていた。
「ししく岩」では、虹鮎が今でも釣れる。
食料も、自給自足が可能だった。飢饉はない。自然は、完璧にコントロールされていた。
豊作は、約束されていた。試験も、勉強も、競争も、税金も、戦争も、ここにはない。

あるいは地上の楽園とは、柳村のことではなかっただろうか?



黒土千秋は、柳村の全景を見下ろしていた。ため息を吐いていた。ガラスが、彼女の息で曇った。

村は秋だった。いつのまにか美しい紅葉に染まっていた。

外の世界とは時間の流れが違う。うっかりしていると、好機を見過ごしてしまう。
前回は、冬枯れの茶色の野山になってしまっていた。

彼女の一年が、この中では四年分に当たるようだ。つまり、千秋の十年間は、内部の人間にとっては、四十年分にあたる。
閉鎖された過酷な環境では、黒土千秋の村への訪問を記憶している住民も、もうほとんど生きてはいないだろう。

しかし、風景だけは変わらずに、ガラス・ケースの内部に大切に保存されている。
古くて懐かしい田舎。その風景の完璧な標本だった。

一番高い山でも、千秋の乳房よりも低いだろう。人間にいたっては、細菌のサイズだ。
肉眼では見ることもできない。もうほとんど、何があったのかも思い出せない。
少女時代の、ほんの数ヶ月間、滞在しただけなのだ。

それからも、父の仕事の代理で、大日本女王帝国の各地を訪問していた。思い出の厚い層の底に、沈んでしまっている。ただ懐かしいという気分だけがあった。

水と空気を循環させるエコ・システムは、正常に作動していた。コンピュータが二十四時間、不眠不休で管理している。
時には物資の補給もする。ウサギ小屋を、大事に世話しているようなものだろうか。
…この妙なたとえも、柳村の記憶から来るものなのだろう。黒と白の二羽の可愛いウサギの姿が、脳裏に浮かんだ。

空気の温度から湿度まで、完璧に制御されている。
秘書官の長も入れない。門外不出の秘蔵のコレクション・ルームである。

黒土千秋は、そこから外に出た。

二十二歳の若さで、大日本女王帝国の女性首相を勤めている。
巨大な執務室がある。常時、四十人以上の女性秘書官達が、つめている。多忙な日々が続く。激務の合間の、わずかな気晴らしの時なのだ。

官邸の一階の廊下に降りていた。
大日本女王帝国の貴族の一員として、三メートル半以上の肉体になっていた。
三十センチはある真紅のハイヒールが、スタイルのよい長身を、さらに強調していた。

玄関の前に、人ごみがあった。

ワインレッドのビジネス・スーツの巨体を、自分の半分ほどしかない平民の男性報道陣の間から、聳え立たせていた。
体力には、自信があった。左右に人並を掻き分けていった。
平民のボディガードなど、いらなかった。片足で蹴散らせる者に、身の安全を委ねてなどいられない。自分の身は、自分で守る。

マスコミは、あるスキャンダルを追いかけているのだ。

平民出身であった黒土家の先代が、金で貴族の位を買ったのではないかという噂だった。財源は、ある村に隠されていた財宝だという。
くだらぬことだ。今は、そのような些細な問題を追及していられるような、時局ではない。黒土千秋は、一切の質問を無視することにしていた。

白いブラウスの中で、高い乳房を誇らかに張っていた。
マイクを頭上に持ち上げている。彼女のインタビューを必死に取ろうとしている。
足元の若い記者には、顔も胸の影になっていることだろう。美しい顔も、拝めないのだ。お気の毒なことだった。
見えなかったふりをしていた。ストッキングの両脚を開いて、彼の頭上を無造作に跨いでいた。
大股に駐車場に急いでいた。女王の待つ王宮で、会食の予定があった。プロイセン帝国との和平交渉は、難しい局面を迎えていた。

今度は、指輪の中に柳村を入れてみようかしら。

それだけを考えていた。化粧は重要な関心ごとだった。
春は新緑に、夏は緑に、秋は紅に、冬は白に。四季折々に色彩の変化する指輪も、美しいだろうと思えた。



美しい滝壷で姉と妹にはさまれて、小さな男の子が遊んでいた。

全裸で水を跳ね飛ばしていた。しぶきが、きらきらと光った。彼らの両親が、その姿を崖の上から見下ろしていた。

「…不思議なものね。一人の総理大臣が、日本の美しい風景を箱庭サイズに縮小して、ひとりじめにして保存していたために、この世界が生き残れたなんて」
「戦争で、全土が黒い焼け野原になった大日本女王帝国に、昔の緑が戻ってきたんだ」

「何が善で、何が悪かなんて、人間には、永久にわからないのかもしれないわね」

「でも、自然の美しさはわかるよ」

「…そうね」
「君の美しさもね」

二人は、長い時を経て再会した夫婦のように、いつまでも熱いキスをかわしていた。


(終り)




笛地さんのこの作品へのごいけん、ごかんそうなど、なにかありましたら…
WarzWars(アットマークは正しく直して…)まで、おしらせください。


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